北条時頼夫婦が双六盤(すごろくばん)を使った双六の勝負で、負けた方が裸になるという賭けをしていました。勝負は夫人の方が劣勢で、進退きわまって困った夫人は心の中で一心にお地蔵さまを念じると、裸のお地蔵さまが双六盤の上に立ちあらわれて夫人を救ったといわれています。
それ以来、身代わりになって苦しい立場を救ってくれたお地蔵さまを、北条時頼夫人は守り地蔵として一層深く信仰しました。そして現在でも、身代り地蔵は双六盤の上に安置されています。
江戸時代の忠臣蔵で有名な赤穂四十七士の一人、岡島八十右衛門の三男が出家し、この寺の住職になりました。その住職の書いた義士銘々伝、義士画像は寺宝とされています。
本堂裏手の墓地には「古狸塚(こりづか)」という碑があります。江戸時代末期、延命寺に住み着いたタヌキが人になつき、酒好きな和尚のために酒を買いに行ったりして、街の人からも可愛がられていました。タヌキが死ぬと、葬って碑を立て供養したと伝えられています。 |
写真撮影:2007年02月28日 |
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