向かって一番左側から、紹介していきます。
角柱タイプの庚申塔です。主尊は描かれておらず、文字で「庚申供養塔」と彫られています。
造立は、寛政十二庚申年、十月吉祥日と書かれてあるので、1800年(寛政12年)10月だと思います。
台石に講中と名前が書いてあったんだけど、花を飾る台があったので見えませんでした。
庚申信仰は、日本では室町時代から仏教的な色彩を帯び、庚申供養塔などが造立されるようになって民間にも広まり、村などで講組織と結び付いていきました。講仲間などと共に、徹夜で庚申の祭事を営むことを庚申待ち(こうしんまち)と呼び、次第に定着していきました。
しかし、具体的に庚申の神様と言われる神像が特定されていたわけではありません。そのため、その時々の仏教や神道の影響を受けてきました。
現在でも目にするのは石製の庚申塔ですが、かつては金銭的な理由などによって木製の庚申塔を造立したり、紙製であったり、寺院の灯篭を寄進したり、道標を建てたりと、決まった形式があったわけでもありません。 |
写真撮影:2008年02月29日 |
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