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 庚申塔

庚申塔 バス停三浦霊園入り口下車 徒歩5分
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庚申塔
庚申塔
 さきほどの横穴古墳のすぐ隣に立ち並んでいた、3基の庚申塔。
 なんとなく勝手な想像で、金田には庚申塔がたくさんあるんじゃないかなーと期待していたので、見つけることができて嬉しかったです(^^)
 庚申塔に関する解説は語りだすと長くなるので、いつも適当に済ませちゃっていますが・・・
 江戸時代のころの庶民の信仰で、庚申講が行われていました。それまでの時代、石仏や石塔と作るのは支配階級の人間だけだったのですが、江戸時代になると一般庶民も石塔を立てるようになりました。
写真撮影:2007年08月23日

庚申塔 バス停三浦霊園入り口下車 徒歩5分
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庚申塔
庚申塔
 専門家ではないので、あまり細かい部分までは見ていませんが、「南無阿・・・」と書かれていたので、きっとその続きを想像すると、「南無阿弥陀仏」と書かれているんだと思います。
 ツワブキの葉がたくさん生えていたので、下のほうまで確認できませんでした。なんかナメクジが這った跡がたくさんあったので、ツワブキに触るのも抵抗があって(^^;)
 もしかしたら、これだけは庚申塔じゃないかもしれません。でも、たぶん、庚申塔だと思います、たぶん、きっと・・・
 主尊として掘られるものは、青面金剛がもっとも多く、ついで猿田彦大神と続くのですが、阿弥陀であっても不思議ではないので。主尊を何にするのかは、特にこれといった決まりがあるわけではないようです。
写真撮影:2007年08月23日

庚申塔 バス停三浦霊園入り口下車 徒歩5分
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庚申塔
庚申塔
 こちらの庚申塔には、どなたか先客がいらっしゃったようです。ちょうど建立された年号のところが削られています。誰かが拓本を取ったか、建立された年代を確認したものだと思います。
 宝永三年と書かれているので、1706年に建てられたものでしょうか。江戸時代中期といったところでしょうか。庚申塔は数が多すぎるためでしょうか、専門に研究する人はほとんどがアマチュアの人であったり、ボクのような地元の歴史に興味を持って調べている人だったりします。そのため、専門家のような人はあまりいません。
 この庚申塔の主尊は、きっと青面金剛になると思います。三角帽子を被って、キン肉マンに出てくるアシュラマンと同じく、手が6本あるので・・・。青面金剛は仏教に近い人たちによって彫られることが多く、疫病などから村を守ってくれるようにとの願いも込められています。
 青面金剛のすぐ下にあるのは、邪鬼を踏みつけているようです。横になっているのでわかりづらいのですが・・・
 一番下には、三猿が彫られています。
写真撮影:2007年08月23日

庚申塔 バス停三浦霊園入り口下車 徒歩5分
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庚申塔
庚申塔
 ちょっとめずらしいなーっていう印象を受けた庚申塔。
 建てられたのは、弘化二年と彫られてありました。弘化二年というと、1845年で江戸時代も後期のものになりますね。江戸時代後期の庚申塔は、文字碑が多いのですが、ちゃんと主尊が彫られているものはめずらしいです。
 しかもこの主尊がちょっと変わっています。不思議な帽子を被って、右手には剣を持っていますが、左手には地蔵尊を持っているように見えます。こういったとき、もっと知識があればなーって悔やんでしまいます。
 できる限り調べてみましたが、手に持っているのは人型のようです。地蔵ではなくて、これが三尸虫のようです。裸の女性の髪を掴んでいるタイプの庚申塔があるというのは聞いていたんですが、それがこの庚申塔のようです。袈裟を着て合掌していますが、三尸虫なのかなぁ〜?
 邪鬼を踏みつけて、その下に三猿が彫られているのは、一般的なモチーフです。
写真撮影:2007年08月23日

馬頭観音 バス停金田下車 徒歩5分
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馬頭観音
馬頭観音
 「馬頭観世音菩薩供養」と書かれてあります。もともとは馬頭観音が立っていたのかもしれないですね。近年になって、新しくしたのではないでしょうか。
 「交通安全守地蔵菩薩」とありますので、この道は昔からの生活道路だったものと思われます。
 移動のために馬が利用されていたのでしょう。
 現在の石仏は、普通のお地蔵さんです。馬頭観音の形式ではないようです。
写真撮影:2007年08月23日

お地蔵様 バス停役場下下車 徒歩5分
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お地蔵様
お地蔵様
 新しいお地蔵様が2体。それと、かなり古そうな石造仏が1体。幹線道路沿いに立っていました。
 お地蔵様は新しいもののようなので、もしかしたら交通事故でもあったのかなー?幹線道路沿いに立っているし。車道に面して立っていたので、じっくりと調べることができませんでした。
 一番気になるのが、右下の石造。庚申塔でしょうか?「○○○信女」と彫られているように見えるんだけど。戒名のようだけど、お墓がこんなところに1基だけポツリとあるとは考えづらいし。
写真撮影:2007年08月23日

石仏 バス停高坂下車 徒歩5分
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石仏
石仏
 車を持ってる人は知ってるかなー。蛭田の鼻の穴(^^;)
 コンクリートが吹き付けられた崖に穴がいくつか開いていて、そこに石仏が置かれています。ここを通る人みんなが、「なんだろ〜?」って思うのではないでしょうか。
 ここは第二次大戦のころに造られた、狙撃用洞窟陣地です。首都東京を守るためにつくられた、たくさんの砲台のうちのひとつです。
 右側の石仏は供養塔のようです。庚申塔のようにも見えますが、庚申塔とは違うようです。カーブの車道に面しているため、ゆっくりと観察していると車に轢かれてしまう危険があるため、ちゃんと確認することはできませんでした。
写真撮影:2007年08月23日

庚申塔 バス停高坂下車 徒歩5分
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庚申塔
庚申塔
 この三基は庚申塔ですね。海岸に面しているため、風化が激しいです。
 主尊には青面金剛が彫られていますが、中央の一基は本当に青面金剛なのかどうかはわかりません。もしかしたら、馬頭観音かなーなんて気がしたんですよ。主尊の彫られた馬頭観音はめずらしいので、もっとじっくり観察したかったなー。
 作りからすると、江戸時代中期〜後期あたりではないでしょうか。
 狙撃用洞窟陣地が造られる前からここにあったのか、狙撃用洞窟陣地が不要になってから誰かがここに置いたのか、詳細は不明です。
 とりあえず現在は、『洞窟の中には入らないでね』っていう役目をになっているように見えます。
写真撮影:2007年08月23日

狙撃用洞窟陣地 バス停役高坂下車 徒歩5分
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狙撃用洞窟陣地
狙撃用洞窟陣地
 この綺麗な四角い穴が、狙撃用の穴です。来るべき本土決戦に備えて、機関砲がすえつけられていたものと思われます。
 もしかしたら、かつて掘られていた横穴古墳を再利用して、狙撃用洞窟陣地にしたのかも。三浦市は古墳時代のころ、崖に穴を掘ってお墓にしていた痕跡が多数残されているので。
 ボクも含めて、戦争を知らない世代が多くなってきているので、戦争に関する遺跡は、できる限り保存しておいて欲しいと思います。身近に戦争の遺構が残されていれば、戦争に対する考え方にも変化が生まれてくると思うので・・・
 いつまでも、平和な国であって欲しいと思います。
写真撮影:2007年08月23日
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