山号は網代山、宗派は曹洞宗。開山は逗子市沼間の海宝院の第二世・霊屋上人、1516年(永正13年)、三浦義同の開基と伝えられています。かつては、石段の下にありましたが、北条早雲との戦いで戦火に遭い、江戸時代末期に現在の場所に再建されました。
かつては、寺宝として義同父子の肖像一幅がありました。
本尊の十一面観音像は行基の作と伝えられ、義同の守護仏であったといわれています。三浦観音三十三カ所の32番。
本堂正面には、飛首伝説を描いた絵馬が奉納されています。この伝説は、新井城落城の時、義同の子三浦義意はみずから首をかき切ると、その首が飛んで小田原の海岸の松の枝に掛かり、3年間もそのままでした。高僧を呼び供養しましたが、効果がありませんでした。そこで、義同ゆかりの小田原の総世寺の僧・忠室が「うつつとも 夢とも知らず ひとねむり 浮世のひまを あけぼのの空」と詠んで供養したところ、たちまちのうちに首は白骨になったというものです。
毎年5月に新井浜で道寸祭が行われます。
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