年代 |
数え年 |
事象 |
1821年(文政4年) |
1歳 |
中島清司永豊(きよしながとよ)の次男として生まれる |
1829年(文政12年) |
9歳 |
11月、母(樋田仲右衛門(といたちゅうえもん)の娘)と離別 |
1831年(天保2年) |
11歳 |
1月、文政10年に入門していた宝蔵院高田流槍術目録を取得 |
1835年(天保6年) |
15歳 |
7月、浦賀奉行所与力見習いになります |
1837年(天保8年) |
17歳 |
6月、モリソン号事件が発生、観音崎台場詰
西御丸一番組徒岡田定十郎(清司永豊の弟)の娘すず(14歳)と結婚(16歳) |
1838年(天保9年) |
18歳 |
3月、浦賀・月番勤務
6月、天然理心流・剣術目録取得(天保5年〜)
9月、田付流・砲術目録取得(天保2年〜) |
1839年(天保10年) |
19歳 |
3月、三崎役宅勤務
8月、荻野流・砲術目録取得(天保5年〜) |
1841年(天保12年) |
21歳 |
4月〜9月、番所勤務
北辰一刀流剣術入門 |
1842年(天保13年) |
22歳 |
8月、観音崎台場詰、台場を川越藩に引き渡し |
1843年(天保14年) |
23歳 |
4月、鳥ヶ崎台場詰・主席
集最流砲術入門 |
1844年(弘化元年) |
24歳 |
1月(天保15年)、北辰一刀流・剣術目録(天保12年〜)
3月、浦賀・月番勤務
8月、御備場(おそなえば)の大砲の仕掛台についての研究を命じられる
12月、荻野流・砲術免許皆伝
12月、集最流・砲術目録取得(天保14年〜) |
1845年(弘化2年) |
25歳 |
3月、マンハッタン号来航
5月、浦賀で大砲制作
7月、浦賀・月番勤務 |
1846年(弘化3年) |
26歳 |
閏5月、ビッドル率いるアメリカの東インド艦隊が来航、中島三郎助が野比沖で警備
10月、高島流・砲術皆伝 |
1847年(弘化4年) |
27歳 |
9月、非常時に奉行所付を命じられる |
1848年(嘉永元年) |
28歳 |
1月、長男・恒太郎(つねたろう)が誕生
7月、格別出精で5人扶持を受ける |
1849年(嘉永2年) |
29歳 |
4月、吟味掛となる
閏4月、イギリス・マリーナ号来航、三郎助は船大工を連れて船内の実測を行う
5月、江戸在勤
6月、正式な与力職となる |
1850年(嘉永3年) |
30歳 |
6月、鉄砲製薬掛となる |
1851年(嘉永4年) |
31歳 |
4月、二男・英次郎(ふさじろう)が誕生 |