帰国後、天城副長、大和艦長などを経て、1886年(明治19年)、大佐に昇進します。しかし、この頃から、体調が優れずに転地療養を繰り返していました。
1894年(明治27年)、日清戦争で浪速艦長として、豊島沖(ほうとうおき)で清兵を満載したイギリス国の高陞号(こうしょうごう)を撃沈します。その後も、黄海海戦、威海衛海戦で活躍します。
高陞号撃沈事件に際して、イギリス国は日本に対して激しい非難をします。しかし、東郷のとった処置は、当時の国際法にかなったものとして、イギリス国の国際法学者が認めました。それ以来、東郷の沈着冷静な判断力が、世界に評価されるようになりました。
三浦半島の歴史:1894年・日清戦争 |