『砂村先祖伝書』の中では、新左衛門は「熊谷直実は出家して名を残し、実盛は錦を着て討ち死にして名を残したが、かように申す私は田夫野人の生まれだから、出家の身になることも、錦を着ることもできない。せめて地より生え出る物種を集め、それを所々にまいて植えおき、名を残すつもりだ」と述べられています。
内川新田の堤防にも、6万6000本の松を植える計画を立て、着手していました。
内川新田のみならず、横浜の野毛新田、東京(江戸)の宝六島の開発など、多くの業績を残した事業家としての自信と誇りをうかがわせ、新田開発や治水工事にかける思いをうかがいしることができます。 |