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坂本龍子


有名なエピソード

坂本龍馬
坂本龍馬
 坂本龍子は、「りゅうこ」ではなく「りょうこ」と読んでください。お龍さんと書かれている場合は、「おりゅうさん」ではなく、「おりょうさん」と読んであげてください。
 坂本龍馬の妻として有名なです。寺田屋でのエピソードなどは、小説でもお馴染みです。1866年(慶応2年)、薩長同盟の成立を悟った新撰組によって寺田屋が包囲されたとき、龍子は風呂に入っていましたが、全裸のまま坂本龍馬に危機を知らせに行き命を救っています。その直後、坂本龍馬と結婚し、坂本龍馬の怪我の養生も兼ねて薩摩藩へ新婚旅行を楽しんでいます。これが日本最初の新婚旅行だったとされています。
 ちなみに、坂本龍馬は北辰一刀流の道場の千葉さな子(千葉佐那子)とも婚約を結んでいます。山梨県甲府市にお墓があり、墓石には『坂本龍馬室』と刻まれています。

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三浦半島の歴史:人物事典・千葉さな子

京都の町医者の長女

寺田屋
寺田屋
 1841年(天保12年)6月6日、京都の勤皇派の町医者、楢崎将作の長女として生まれました。しかし、大老井伊直弼による安政の大獄で捕らえられ、獄中で亡くなってしまいます。
 その結果、母と、龍子、そして4人の幼い兄弟たちは生活に困るようになりました。龍子は家族を養うため、旅館・扇岩で働き始めました。その後、天誅組の賄いとなりましたが、天誅組が幕府の追討を受けるようになり、各地を放浪する身となりました。
 このとき、坂本龍馬と出会って愛人となり、その縁で伏見の寺田屋で働くこととなりました。

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横須賀に移り住む

 1867年(慶応3年)11月15日、坂本龍馬は近江屋で暗殺されてしまいます。結婚生活わずか2年で未亡人となってしまいました。
 坂本龍馬の死後、龍馬の姉の坂本乙女の元に身を寄せていましたが、両者の不仲が原因となり、間もなくそこを去ることになりました。その後、京都、大阪、東京と、流転の生活が続きました。
 龍子が横須賀に住むようになったのは、1875年(明治8年)に作成された戸籍簿に名簿があることから、明らかになっています。明治初期の頃に、横須賀に移り住むようになったと考えられます。
 きっかけは米が浜に家を構えていた、呉服行商人の西村松兵衛と知り合ったことによると考えられます。そしてやがて二人は結ばれることとなります。

横須賀の発展が二人を結び付ける

横須賀造船所
横須賀造船所
 幕末に建設された横須賀製鉄所は、明治時代となると名前を横須賀造船所と改められました。海軍の拡張と共に造船所も発展し、工員数も急増しました。それに伴って横須賀の戸数も急増し、1868年(明治元年)〜1879年(明治12年)までに、戸数は7倍以上に増えています。
 この急激な発展によって、居住地が不足したために、さかんに埋め立てが行われました。汐留町、湊町、若松町、米が浜などが埋め立てられ、市街地として誕生しました。

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海と縁のある龍馬と龍子

横須賀
横須賀
 龍子の再婚の相手は、近江国(現在の滋賀県)出身の呉服行商人西村松兵衛が横須賀に商売の足場を求めたのは、横須賀の発展を考慮してのことだと思われます。龍子が横須賀に移り住んでからの発展も、目覚しいものがあったことでしょう。
 海に開かれた日本を目指していた坂本龍馬。軍港都市へと発展する横須賀を見てきた龍子は、どのような思いでいたのでしょうか。

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実は自堕落な生活だったんです

 龍子の横須賀での生活は、毎日お酒を飲んで暮らしており、アルコール依存症状態でした。坂本龍馬の妻であったことを唯一の生き甲斐とし、夫を手こずらせる生活だったといわれています。
 龍子は坂本龍馬の事業や功績にはほとんど興味がなく、教えてもらうまで坂本龍馬の業績を知らずにいました。

実はアル中だったんです

坂本龍子の墓
坂本龍子の墓
 1906年(明治39年)、龍子は妹や夫に見守られながら、66歳で波乱に富んだ人生を閉じました。
 それから8年後の1914年(大正3年)、夫の西村松兵衛や有志の努力によって、横須賀市大津町の信楽寺に墓碑が建てられました。
 墓碑には「贈正四位阪本龍馬之妻龍子墓」と刻まれています。墓石は、海軍工廠が寄贈したドック建設用のものです。
 坂本龍馬と同じ土佐藩士の佐々木高行は、龍子のことを「大変な美人だが、賢婦と言えるかどうかは疑わしい。ただ、悪人でないことは確かである」と評しています。

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