後藤利兵衛は相模国を中心に仕事をし、京都や鎌倉でも多くの作品を残しています。木目を生かした迫力のある彫刻が特徴です。作品には自分の銘を入れているのも特徴です。
結婚後、42歳になって生まれ故郷の千倉町に戻りました。そして安房国を中心に活動するようになり、館山市では多くの作品を残して、2015年には生誕200周年祭が行われました。寺院の彫刻のほかにも、山車や神輿、個人宅の欄間なども手がけました。「安房の三名工」とも呼ばれるようになりました。
三浦半島よりも、房総半島で有名な人です。
1902年(明治35年)4月22日、88歳で亡くなりました。お墓は千葉県千倉町寺庭の西養寺にあります。
多くの門弟を育て、「安房後藤流」や「房州後藤流」と呼ばれる一派を作りました。弟子の多くも、後藤姓を名乗りました。
後藤利兵衛義光の生涯については、西叶神社の宮司・感見武さんらによってまとめられた『叶神社誌』に詳しく書かれています。 |