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西叶神社


西叶神社

バス停紺屋町下車 徒歩3分
地図
西叶神社
西叶神社

 木製の大きな鳥居があります。
 1933年(昭和8年)に新築された檜(ヒノキ)製の鳥居です。老朽化のため、2015年(平成27年)に解体しました。
 2015年(平成27年)8月、ガラス繊維コンクリート造りの新しい鳥居が完成しました。
 デジカメを手に入れてから、初めて訪れる西叶神社。フイルムカメラの時代に訪れたことがあります。まだ10代だったかも。
 当時は狭い境内なのに、なんて立派な神社なんだという感想を持ちました。若い頃からおっさんのような趣味をしています(^^;)
 本来は「叶神社」ですが、東浦賀にも叶神社があるため、西叶神社と呼ばれています。

写真撮影:2009年04月13日

西叶神社

バス停紺屋町下車 徒歩3分
西叶神社
西叶神社

 文覚上人(もんがく)が源氏の再興を願って房総半島の鹿野山(かのうざん)に修行して、自分の願いが叶えられるなら良い土地を選んで神社を建てることを誓いました。
 1181年(養和元年)、その願いが叶えられそうになったので、神社を建てる場所を探した結果、鹿野山の対岸の西浦賀の地が選ばれました。裏山の嵐山に草庵を結び、京都の石清水八幡宮を勧請しました。
 源氏の氏神が、石清水八幡宮です。祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと)、比淘蜷_(ひめおおかみ)、息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)になります。
 この場所は現在の浦賀丘3丁目あたりで、文覚畑と呼ばれています。
 1186年(文治2年)、壇ノ浦の戦いで平家が破れ源氏の世になって、願いがかなったことから「叶明神」の称号が与えられました。

写真撮影:2009年04月13日

西叶神社

バス停紺屋町下車 徒歩3分
西叶神社
西叶神社

 神社の境外から傍観しただけで、「んっ!?ココの神社は他とちょっと違うぞ」って感じる空気が漂っています。
 石清水八幡宮を勧請した文覚上人(1139年〜1203年)はどんな人だったのかというと、は、平家物語にも登場し、鳥羽天皇の皇女に使える北面の武士でした。出家し諸国の霊前で修行し、その効験をもって知られていました。
 後白河法皇に対する荘園寄進の強要によって伊豆に流されました。平家嫌いであったため、その地で出会った頼朝に、源氏の挙兵をすすめました。

写真撮影:2009年04月13日

西叶神社

バス停紺屋町下車 徒歩3分
西叶神社
西叶神社

 それほど大きくはありませんが、迫力を感じる拝殿です。屋根の造りや彫刻などの装飾が、訪れた人にそう感じさせるのかもしれません。
 数多くの神社を訪れていますが、他とは違う雰囲気があります。
 現在の社殿、1842年(天保13年)に再建されたものです。3000両です。

写真撮影:2009年04月13日

玉取竜

バス停紺屋町下車 徒歩3分
玉取竜
玉取竜

 この彫刻が、あの名高き後藤利兵衛義光の作品だったんですね。
人物事典:後藤利兵衛
 安房国(現在の千葉県)の彫刻師で、この仕事が認められてから、幕府の彫刻師として雇われました。
 芸術に造詣のない管理人のような人間に、彫刻の良さなんてわかるはずがないって?スッ、スイマセン、ごもっともですー!!
 ところが西叶神社の彫刻、誰が見ても素晴らしいと感じられる作品なんですよー。ぜひ一度は訪れて、実物を見て欲しいって思います。
 作品の厚みが違いますから!凹凸がものすごいんですよ。まるで3Dです。緑と赤のセロファンが貼られたメガネを掛けたら、地平線のかなたまで飛び出しちゃいそうな勢いです。

写真撮影:2009年04月13日

天井と扁額

バス停紺屋町下車 徒歩3分
天井と扁額
天井と扁額

 天井が格天井になっていて、そのマス目のひとつひとつに彫刻が施されています。
 こういった造りの神社仏閣って、建造にものすごい資金が必要になるんです。それを実現した西叶神社、かなりのお金を注ぎ込んだということになります。それは、周辺に住んでいる人々が、わりと裕福な暮らしをしていたと想像できます。
 この彫刻は花鳥ですが、この中には当時はまだ日本に渡来していない花や鳥も彫られていて、後藤利兵衛はどのようにして知識を得たのか謎とされています。
 縁起額は、焼失した仙石政寅奉納の額を模して、1852年(嘉永5年)、浦賀奉行・浅野長祚が奉納しました。

写真撮影:2009年04月13日

拝殿内部

バス停紺屋町下車 徒歩3分
拝殿内部
拝殿内部

 西叶神社さん、スイマセン!!
 拝殿内部を隠し撮りしちゃいました。本当は撮っちゃいけないっていうのは十分にわかっているのですが、わかっているけどやめられない。あっ、ソレ!!

写真撮影:2009年04月13日

社務所

バス停紺屋町下車 徒歩3分
社務所
社務所

 たぶん、西叶神社の社務所です。
 とっても立派な造りをしていたので、社務所の写真も撮っちゃいました。増改築を繰り返したのでしょうか、左右の建物でバランスが取れていませんね。左側の建物は、上下でもバランスが悪いですね。とても面白い造りをしています。
 1923年(大正12年)の関東大震災の後に建てられました。玄関入り口上部に、漆喰を何度も塗り重ねて凹凸を作る漆喰鏝絵(しっくいこてえ)があります。地元の石川善吉という左官職人が作ったものです。
 このあたり、江戸時代には不動明王を本尊にしていた感応院西栄寺という古儀真言宗のお寺がありました。高野山から南関東一円に配るお札や、加持祈祷に使う品が送られてきて、それを配布する役割を担っていました。
 1871年(明治4年)、西岸学舎が置かれました。1898年(明治31年)、東浦賀にある乗誓寺に置かれていた東岸学舎と合併し浦賀小学校が開校するまで存続していました。
 1881年(明治14年)、明治天皇が観音崎砲台の視察を行った際、ここの西岸学者の教室が休憩室として利用されました。

写真撮影:2009年04月13日

福寿弁財天

バス停紺屋町下車 徒歩3分
福寿弁財天
福寿弁財天

 ちょっとした神社になると、池が造られ弁財天が祀られているところも多いですね。さらに岩をくり抜いて、祀られているみたいです。
 私は運動神経が存在せず、バランス感覚も存在しないので、池の上に架けられた橋を渡ると落ちるタイプなので、安全地帯から写真を撮っています。

写真撮影:2009年04月13日

西叶神社

バス停紺屋町下車 徒歩3分
西叶神社
西叶神社

 春日神社かなとか、勝手に推理しながら見てたんだけど。実際には何神社だったんだろう。
 調べてみた結果、ひとつの社ですが、4つの神社が合祀されていました。
 稲荷神社、三島神社、大鷲神社、淡島神社。
 一番左が稲荷神社のためか、陶器製の小さな稲荷が置かれています。
 大鷲神社がまつられているので、酉の市も行われます。

写真撮影:2009年04月13日

西叶神社

バス停紺屋町下車 徒歩3分
西叶神社
西叶神社

 左側に木製の小さなお社がひとつ。
 右側に物置小屋のようなお社がひとつ。
 ここは何神社で、何の神様が祀られているんだろう。判明するかどうかわかりませんが、調べてみます。
 文覚上人の草案跡は畑になっていて文覚畑って呼ばれているらしいんだけど、この階段を登った先にあるのかな?どこにあるのか良くわからなかったので、見付けられませんでした。どうやらちょっと離れた場所にあるみたいです。

写真撮影:2009年04月13日

金毘羅神社

バス停紺屋町下車 徒歩3分
金毘羅神社
金毘羅神社

 照葉樹がうっそうと茂った細い階段を登り切ると、小さな社がありました。ここが金毘羅神社のようです。
 左右には朽ちかけた灯篭が設置され、その隣には真新しい狛犬が設置されていました。対照的な雰囲気が面白いですね。

写真撮影:2009年04月13日

手水舎

バス停紺屋町下車 徒歩3分
手水舎
手水舎

 参拝前に清めるところです。
 ちゃんとやる人もいますが、やらない人もいますね。私はどうしているのかというと、スイマセン、やらない人です(^^;)
 本当はちゃんとやらなくちゃいけないんだけど、デジカメと地図を持ち歩いているので、手を濡らしたくなくて。
 でもちゃんとやる時もありますよ。ご飯を食べる前とか、お行儀よく手を洗います。本当は手を洗う場所じゃないんだけど。
 この手水鉢、ちゃんと由来があるんです。1789年(寛政元年)、遊郭の主人で僧侶に転職した江戸屋半五郎が寄進したものです。半五郎は仏門に帰依して以後、仏の道を説いて歩きました。常福寺にお墓があります。
人物事典:江戸屋半五郎

写真撮影:2009年04月13日

狛犬

バス停紺屋町下車 徒歩3分
狛犬
狛犬

 立派な狛犬がいました。
 三浦半島ではあまり見慣れない雰囲気の狛犬だなって思いました。私の行動範囲が狭いとか、いつも同じ狛犬ばかりしか見ていないとか、自分自身の見識の狭さもありますが・・・
 頭部、胴体の毛並み、筋肉の付き方、手指・足指、だいぶ違う気がするんですよー。石工が遠く離れた地域から呼ばれた人なのかな?

写真撮影:2009年04月13日

狛犬

バス停紺屋町下車 徒歩3分
狛犬
狛犬

 立派な狛犬です。
 狛犬に決まった形式みたいなのはありませんが、どちらも口を開けた獅子です。口を開けてるからハアハアしてるってわけじゃなくて、普通はもう片方は口を閉じた狛犬になるんですが、西叶神社では左右ともに獅子になっています。

写真撮影:2009年04月13日

いやぁ〜ん

バス停紺屋町下車 徒歩3分
いやぁ〜ん
いやぁ〜ん

 おじさんみたいな顔を下謎の生物が・・・
 石製の柵の陰に隠れるように配置されていました。恥ずかしそうにこちらを覗き込んでいるので、なんかちょっとカワイイ。

写真撮影:2009年04月13日

いやぁ〜ん

バス停紺屋町下車 徒歩3分
いやぁ〜ん
いやぁ〜ん

 謎の生物は1匹だけではありませんでした。
 こっちはカッパっぽいんだけど、本当はなんだろう?
 こうして細かい部分まで造り込まれている神社っていうのは、かなりのお金が必要だったんだろうなって思います。ある程度、裕福に暮らしている人々と、厚い信仰がなければ作ることができないものだと思います。神社を造営するって、当時としてはかなりのお金が必要な大事業だと思うので。
 もしかして、狛犬なのかな?

写真撮影:2009年04月13日

灯篭

バス停紺屋町下車 徒歩3分
灯篭
灯篭

 巨大な灯篭が奉納されていました。
 銅で造られた立派な灯篭で、細かな装飾も施されています。この豪華さからも、浦賀が栄えていた町だったということがわかります。
 笠の縁部分には、水が流れるような装飾が施されています。これは、叶神社が火事で焼失してしまったため、防火の願いが込められているのでしょうか。
 1833年(天保4年)、浦賀の遊郭から寄進されたものです。社殿が焼失する前のものです。当時は遊郭や遊女屋とは呼ばず、洗濯屋と呼んでいました。
 叶神社には遊郭に関するものが伝えられていますが、現在では縁結びのご利益があるなんて言われています。

写真撮影:2009年04月13日

灯篭

バス停紺屋町下車 徒歩3分
灯篭
灯篭

 銅製の灯篭は曲面の円を多用したデザインになっていますが、こちらの石製の灯篭は直線を多用したデザインになっていました。
 まったく違った印象ですね。

写真撮影:2009年04月13日

石仏

バス停紺屋町下車 徒歩3分
石仏
石仏

 主尊は誰だろう。
 詳しい人が見ればわかるのかもしれませんが、そこまで詳しくなくて・・・。まだまだ勉強中です。

写真撮影:2009年04月13日

石碑

バス停紺屋町下車 徒歩3分
石碑
石碑

 灯篭のすぐそばに建立されていた石碑です。
 自然石が使われているようです。柔らかい堆積岩でしょうか、かなり崩れてきてしまっています。
 いつかは、砂に戻っちゃうのかな。永遠なんて存在しないのかなって思うと、はかないですよねー。人々の願いが込められて造られたであろう石碑ですが、人々の気持ちは永遠には続かないんですね。

写真撮影:2009年04月13日

昭洞香山君碑

バス停紺屋町下車 徒歩3分
昭洞香山君碑
昭洞香山君碑

 昭洞香山は、香山栄左衛門のことです。

写真撮影:2009年04月13日

石碑

バス停紺屋町下車 徒歩3分
石碑
石碑

 石碑に彫られた旧字体や草書体を読むのが苦手なので、何の石碑なのか良くわかりません。勉強はしているんですが、なかなか身に付かなくて・・・
 どこかに、明治天皇駐蹕の碑があるはずなんです。駐蹕は「ちゅうひつ」って読みます、今は使わない言葉ですね。
 明治14年、天皇の観音崎砲台への行幸を記念して建てられた石碑です。社務所にあった西岸学舎で休憩され、鴨居若松屋で再び休憩され、観音崎に向かいました。

写真撮影:2009年04月13日

石碑

バス停紺屋町下車 徒歩3分
石碑
石碑

 叶神社の由来が書かれているっぽい石碑です。

写真撮影:2009年04月13日

石碑

バス停紺屋町下車 徒歩3分
石碑
石碑

 日本武尊と弟橘媛命の話が書かれてあるっぽいです。たぶんです(^^;)

写真撮影:2009年04月13日

大銀杏

バス停紺屋町下車 徒歩3分
大銀杏
大銀杏

 神社にはつきものの、大銀杏です。いつ頃に植えられたものなんだろう。
 私は神社も好きですが、植物も好きで、写真を撮るのも好きなので、神社に訪れるとついつい写真を撮りまくってしまいます。
 たくさん撮るわりに、良い写真は少ないんですよねー。写真の撮り方の本を買ったので、構図などを勉強したいです。
ベランダ園芸:イチョウの育て方

写真撮影:2009年04月13日

西叶神社

バス停紺屋町下車 徒歩3分
西叶神社
西叶神社

 西叶神社の古い写真です。

写真撮影:----年--月--日
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