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江戸屋半五郎(深本)


浦賀の遊郭の主

西叶神社の手水鉢
西叶神社の手水鉢
 18世紀後半、浦賀の町がもっとも栄えていたころで、三浦半島ではもっとも大きく発展した街となっていました。人々の生活ぶりも、江戸の流行を敏感に感じ取るような華やかなものとなっていました。
 港町の浦賀には5軒だけ遊郭が認められており、浦賀の繁栄を象徴するような存在でした。
 中でも江戸屋半五郎の遊郭は、ひときわ大きくて華美なものでした。その行き過ぎたほど贅沢な造りが、江戸屋半五郎の人生を変えさせるきっかけへと働きました。
三浦半島観光地図:横須賀市浦賀町
三浦半島観光地図:横須賀市西浦賀
三浦半島観光地図:横須賀市東浦賀

浦賀奉行に就任した初鹿野伝右衛門

西叶神社の灯篭
西叶神社の灯篭

 浦賀奉行に就任したばかりの初鹿野伝右衛門信興(はじかのでんえもんのぶおき)。
 1787年(天明7年)に浦賀奉行に就任し、1788年(天明8年)〜1791年(寛政3年)には北町奉行にも就任しています。浦賀奉行時代、質素倹約の業績が評価され、1787年(天明7年)から行われている松平定信の寛政の改革の影響で、江戸北町奉行に抜擢されました。ここでも、庶民の風俗の取り締まりなどで活躍した人物です。
 しかし、1791年(寛政3年)には死亡が確認できるので、過労で亡くなったのかもしれません。江戸北町奉行になり、官位は従五位下、河内守になりました。

 浦賀奉行に就任したばかりのころ、浦賀の町を巡視した際、江戸屋半五郎の遊郭が目に留まり、共の者に何をする場所なのか尋ねました。
 共の者はかしこまって「洗濯屋でございます」と答えると、「洗濯屋がこんなに贅沢で華美な建物である必要はない!」と言いました。さらに、「かような洗濯屋などあるから、人々の心を惑わし、おごりを増長させるのだ。即刻、取り壊しじゃ!」と続けました。
 当時の洗濯屋は、現在のクリーニング屋ではなく、遊郭のことをいいます。

半五郎、僧になる

大衆帰本塚の碑
大衆帰本塚の碑

 江戸屋半五郎は若いころから豪勇な性格で知られていて、その噂は浦賀の町中だけではなく、近隣の村々にまで広がっていました。江戸で行われていた寛政の改革は、浦賀にも影響を及ぼしていたことがわかるエピソードです。
 さすがの半五郎も、これにはショックを受けたと思います。

 そして、江戸へと出向き、とある僧侶と運命の出会いを果たします。
 僧侶の名前はわかっていませんが、その教えに感化され、自分がいかに無常な人生を送ってきたかを会得しました。
 浦賀に戻ると、すべての家も財産も処分し、これまで抱えてきた遊女たちに分け与えました。やっぱり、やることが極端で豪快な人物です。
 自分自身は出家を覚悟し、着の身着のままで旅に出ました。滋賀県大津市の比叡山にある清龍寺において僧侶となり、名を深心(しんしん)としました。


徳本上人との出会い

 各地の霊場を回って修行を行い、紀州の山中で徳本上人と巡り合います。
 徳本は紀伊国日高郡の出身で、各地を巡って修行を行い、文化11年(1814年)に江戸増上寺典海の要請により江戸小石川伝通院の一行院に住しました。江戸近郊の農村を中心に北陸や近畿にまで念仏講を組織し、「流行神」と称されるほど熱狂的に支持さました。

 徳本上人の弟子となって、この時、徳本上人から名前を一字もらって深本(しんぽん)と改めました。


浦賀で生涯を閉じる

浦賀警察署
浦賀警察署

 浦賀に戻ってからは、浦賀警察署のすぐ隣にあった地蔵堂で念仏三昧の日々を送りました。1809年(文化6年)、この念仏が途絶えたとき、61歳の波乱に満ちた生涯を閉じていました。
三浦半島観光地図:横須賀市浦賀町・浦賀警察署
 西浦賀の常福寺に、師弟関係にあった第二十九世の光誉上人基の隣、江戸屋半五郎の墓が建っています。 墓石には「大誉果向深本心法子」と刻まれています。
三浦半島観光地図:横須賀市西浦賀・常福寺
 東浦賀の東林寺の入り口には、半五郎が建てた六字念仏塔が建っています。
三浦半島観光地図:横須賀市東浦賀・東林寺
 西浦賀の西叶神社にある漱盤(そうばん)、浄福寺にある六十六部の供養塔なども残っています。
三浦半島観光地図:横須賀市西浦賀・西叶神社


近世浦賀畸人伝

 1829年(文政12年)、東浦賀の干鰯問屋の樋口有柳という人が『近世浦賀畸人伝』を記しています。

 僧深本、深本は俗称半五郎と云、わかかりし時、業を好み、任侠豪雄遠近に聞えけり、中年、娼家を開いて奢侈尽くせざる所なし。
 ひととせ東都に遊びて、しかるへき宿縁やありけん。貴僧の教化をえて、たちまち無常迅速のことはりを領会し、歌妓娼婦等を己が様々にかへしけり。立つらねたりし大厦高楼、みな代かへて因みある人のかきり、俗の名残のかっけものとしなととのへて配り分ち、身は唯、一衣一鉢の境界とおもひしめて出さりぬ。
 徳本行者の龍れる深山を踏分けて、ひたすらに師弟の契りを祝き、此時また深本とあらため、しはらく爰に止りて、又ふる里にかへり来りー宇の草庵をむすひ、仏名を唱ふの外他事なし。
 かくて年をふるほとに、有時何となく相しれる家々を残りなくうち廻り、 己が庵にかへりぬ。其のまたの日正午とおほしき比はひ、念仏のこゑやみて眠るかことく命終りぬ。厭離得説のすみやかなる尤奇なりと云へし。則文化六年四月十九日、六十一歳

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