1598年、オランダが東洋への遠征隊を派遣するという情報を耳にし、ウィリアム・アダムスは会社を辞めオランダへ行き、船団の航海長となることに成功しました。オランダ側も、彼のような人材を必要としていました。
6月、5隻のセンダンがロッテルダムを出向しました。旗艦ホープ号(希望)、ヘローフ号(信仰)、リーフデ号(慈悲)、トラウ号(信頼)、ブライデ・ボートスハップ号(幸運)の5隻です。司令官はヤコブ・マフ、ウィリアム・アダムスは旗艦ホープ号に乗り込み、弟のトーマス・アダムス、友人のティモシー・ショッテンもいました。
荷主の都合で出航が予定より1ヶ月も遅れ、頼りとする北からの季節風が終わろうとしており、不安を抱えての出航となりました。 |