西叶神社の脇に建っていた看板。あの有名な、ええじゃないかです。幕末の行き詰った世の中を憂い、多くの人が半狂乱した騒動は、三浦半島でも起きていたようです。世直しをともなう運動は、各地で発生しました。
1867年(慶応3年)の秋、西叶神社前の砂糖問屋湖旗屋(こはたや)の樽の中から、大神宮のお札が出てきたことから大騒ぎとなりました。以後、浦賀のあちこちに札降りが相次ぎました。
この騒ぎが「ええじゃないか」と言われる民衆運動の三浦半島での始まりとなりました。
浦賀の家に次々とお札が降り、人々は吉兆として誰にでも酒や赤飯などの食事を振る舞いました。奉公人を始め、往来の人にまで振る舞ったので、多くの人が浦賀になだれ込み、遠方のホームレスまでもが集まりました。奉行所も収拾がつかないほど、街は狂乱状態となりました。
|