そらいろネット > 三浦半島観光地図 > 横須賀市 > 西浦賀 > ええじゃないか

ええじゃないか


ええじゃないか

バス停紺屋町下車 徒歩3分
地図
ええじゃないか
ええじゃないか

 西叶神社の脇に建っていた看板。あの有名な、ええじゃないかです。幕末の行き詰った世の中を憂い、多くの人が半狂乱した騒動は、三浦半島でも起きていたようです。世直しをともなう運動は、各地で発生しました。
 1867年(慶応3年)の秋、西叶神社前の砂糖問屋湖旗屋(こはたや)の樽の中から、大神宮のお札が出てきたことから大騒ぎとなりました。以後、浦賀のあちこちに札降りが相次ぎました。
 この騒ぎが「ええじゃないか」と言われる民衆運動の三浦半島での始まりとなりました。
 浦賀の家に次々とお札が降り、人々は吉兆として誰にでも酒や赤飯などの食事を振る舞いました。奉公人を始め、往来の人にまで振る舞ったので、多くの人が浦賀になだれ込み、遠方のホームレスまでもが集まりました。奉行所も収拾がつかないほど、街は狂乱状態となりました。

写真撮影:2009年04月13日

ええじゃないか

バス停紺屋町下車 徒歩3分
ええじゃないか
ええじゃないか

 ええじゃないかの看板に描かれていた絵です。
 右上の絵は紙芝居『浦賀の大祭り』から。
 左下の絵は『豊饒御陰参之図』から。こちらの絵は、わりと有名です。
 伊勢神宮など、有名な神社仏閣のお札が降ったのを豊作の兆しとして喜び、老若男女に関係なく「ええじゃないか」と口ずさみながら町を練り歩き、裕福な家に土足で踊り込んで酒食などの振る舞いを強要しました。
 札降りのない家は信心が足りないと言われ、寒い中、裸になって腰にしめ縄を付け、白布の鉢巻きをして、「六根清浄」と唱えつつ水浴びをして神社仏閣に参拝しました。水を浴びせられた幼児が泣きわめき、数日後には死亡してしまったという記録まで残っています。
 当時の人々にとって、理性をも失わせてしまうものとなっていました。ほぼ強制的に街の裕福な家に富の分配を強制するもので、民衆の封建社会への抗議の表れでもありました。しかし、単なるお祭りで終わってしまい、世直しには結びつきませんでした。身分の分け隔てなく、みなが現在の社会を憂いていた時代でもあります。
 「ええじゃないか」は三河(名古屋とする説もあります)で起こり、伊勢神宮などのお札が降って人々が狂喜乱舞しました。
 京都、大坂、駿府、江戸、北は会津、南は淡路まで波及しました。東海道を江戸まで東上していく途中、浦賀に伝わったと考えられます。明治元年まで続けられました。

写真撮影:2009年04月13日

大井戸

バス停紺屋町下車 徒歩3分
大井戸
大井戸

 西叶神社の脇にあった大井戸。とても大きな井戸でした。
 すぐ近くは海ですが、井戸に海水が混ざるということはないのかな。水源は深い場所にあるから海水が混ざることはないんだろうけど、土壌にしみ込んだ塩分が井戸水に混ざってしまうんじゃないかと思ってしまいます。
 多くの人が住んでいた地区なので、掘られた井戸の本数も多いと思いますが、これほどの大井戸っていうのは珍しいと思います。

写真撮影:2009年04月13日
広告
メインコンテンツ
家庭の医学
身近な植物図鑑
身近な昆虫図鑑
身近な野鳥図鑑
身近な貝殻図鑑
身近な生き物図鑑
ベランダ園芸
三浦半島観光地図
コミュニティー
広告
広告


広告
広告

  横須賀市-西浦賀  
西叶神社 そらいろネット 東福寺
Copyright そらいろネット All right reserved.