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東福寺


階段

バス停紺屋町下車 徒歩3分
地図
階段
階段

 うっ、階段が長い(^^;)
 神社やお寺巡りでは、長い階段がつきものですねー。特に三浦半島では、小高い丘の上に神社やお寺があることがほとんどなので、階段を登らなくてはいけません。
 延命山東福寺といいます。曹洞宗のお寺で、逗子にある海宝院の末寺です。本尊は延命地蔵菩薩です。
 徳川家康が江戸に入ると、三浦半島全体を総代官長谷川七郎左衛門長綱に治めさせました。長綱は東福寺の再興に力を注ぎ、曹洞宗に改宗させ再建しました。
 江戸幕府から御朱印2石をたまわり、歴代の浦賀奉行も就任すると必ず参拝に訪れた格式あるお寺です。

写真撮影:2009年04月13日

山門

バス停紺屋町下車 徒歩3分
山門
山門

 なんて書いてあるのか、読めなかったぁ・・・(>_<)
 調べてみたところ、山門禁葷酒でした。葷酒、山門に入るを許さずです。
 葷酒(くんしゅ)は、ニオイに強い食べ物や、お酒のこと。チョコレートボンボンとかは、山門から先に持ち込んじゃダメってことですね。
 維時文化二年乙丑、孟秋日、現住亮俊代立正
 って、書いてありました。1805年、江戸時代の後期で、町人文化が発展していた頃になります。

写真撮影:2009年04月13日

山門

バス停紺屋町下車 徒歩3分
山門
山門

 頑張って登ると、意外と小さな山門がお出迎えしてくれます。
 千社札貼り付け無用って貼り紙がありました。無用ってことは、貼り付けていいってこと?貼り付けちゃダメってこと?そじゃーもちろん、貼り付けちゃダメってことです。
 カイドウの花が綺麗に咲いていました。

写真撮影:2009年04月13日

観音堂

バス停紺屋町下車 徒歩3分
観音堂
観音堂

 階段を上った先にあった観音堂。歴史のあるお寺なのに、現在ではずいぶんと小さくなったんだなーなんて思いながら写真を撮っていました。
 とっ、ところが、後になって知ったんですが、ここからさらに上に行ったところに本堂があるんだって!!
 この観音堂が本堂だと思っていましたよ(^^;)
 本堂には岩田辰之助という人物が昭和7年に作成された鏝絵(こてえ)があるそうです。見てみたかったなー。浦賀地区には鏝絵が多いんですよー。

写真撮影:2009年04月13日

観音堂

バス停紺屋町下車 徒歩3分
観音堂
観音堂

 ここが本堂だと思っていたので、違う角度からも写真を撮っておきました。
 「海難よけの観音様」として信仰されていた観音様が祀られています。
 江戸時代の初期、西浦賀紺屋町にあった淡路屋治兵衛の回船が上方から荷物を積んで浦賀に 向かっている時、時化に遭遇し、船が沈みそうなりました。船頭はじめ乗組員たちは、日頃から信仰する観音様に助けを求めていると、不思議なことに船の舳先に観音様が出現し、海は穏やかになりました。船頭や乗組員は、観音様が自分たちの命を救ってくれたとして、浦賀に入港すると東福寺に観音像を安置しました。
 この観音菩薩は三浦三十三観音の十三番札所になっています。
 かつて観音堂脇に湧いていた水は「甘露水」といわれた良い水でした。

写真撮影:2009年04月13日

彫刻と扁額

バス停紺屋町下車 徒歩3分
彫刻と扁額
彫刻と扁額

 この観音堂が本堂だと思っていたので、竜の彫刻や扁額も写真を撮っておきました。
 自分は読めませんでしたが、「大悲閣」って書いてあるみたいです。言われてみると、そう見えなくもないです。。。

写真撮影:2009年04月13日

絵馬

バス停紺屋町下車 徒歩3分
絵馬
絵馬

 カメの絵馬です。このカメの種類は、イシガメですね。
身近な爬虫類図鑑:ニホンイシガメ
 本堂には江戸時代中期を代表する画家、酒井抱一(さかいほういつ)が描いた大きな亀の大絵馬です。
 酒井抱一は俳諧にも風流三昧な生活を送った人です。墨一色で、彼らしく力強く描かれています。檀家の坂東善兵衛が、妻の追善供養のために奉納したもので、のちに大きく手が加えられているため、文化財の指定はされませんでした。
 明治8年、最初に浦賀愛宕山を開いたのが、誰あろう坂東善兵衛です。明治24年6月、浦賀園として浦賀町が改修しました。
 善兵衛の墓は、緑が丘の良長院にあります。墓石には自らの筆で、愛宕山を開いたこと、明治18年に龍本寺の墓地にある米が浜の見晴らし台を開いたこと、明治28年には汐入から上町へ抜ける大勝利山を開いたことが書かれています。
三浦半島観光地図:横須賀市緑が丘・良長院
三浦半島観光地図:横須賀市深田台・龍本寺
三浦半島観光地図:横須賀市若松町・大勝利山
 晩年は大勝利山に小屋を建てて移り住み、赤い帽子と赤い着物をまとっていたことから、「赤いおじさん」と呼ばれる名物おじさんでした。

写真撮影:2009年04月13日

地蔵堂

バス停紺屋町下車 徒歩3分
地蔵堂
地蔵堂

 地蔵堂を発見しました。入り口からはお地蔵さんが見え隠れしています。
 このお地蔵さんなのかどうかわかりませんが、三浦地蔵尊代三十三番札所にもなっています。

写真撮影:2009年04月13日

地蔵堂

バス停紺屋町下車 徒歩3分
地蔵堂
地蔵堂

 中を拝見。
 六地蔵が2列になって並んでいました。合わせて全部で十二地蔵です。
 千羽鶴なども奉納されていました。
 一番目立つところに千社札が・・・(^^;)。貼っちゃダメって書いてあったのに。

写真撮影:2009年04月13日

東福寺

バス停紺屋町下車 徒歩3分
東福寺
東福寺

 なんだったなろう、この建物。ちゃんと調べてないので、良くわかりません。
 三浦地蔵尊代三十三番札所になっているので、ここが地蔵堂でしょうか?

写真撮影:2009年04月13日

手水鉢

バス停紺屋町下車 徒歩3分
手水鉢
絵水鉢

 地蔵堂の脇の置かれていた手水舎。
 印鑑に使われる字体で書かれてあります。奉納って書かれることが多いんだけど、奉納じゃないですよね?「御霊」ですかね?それとも「漱盤」?
 うーん、正解はどれだ?
 左下に「加茂姓」って書いてあったので、加茂さんが奉納した手水鉢のようです。

写真撮影:2009年04月13日

地蔵

バス停紺屋町下車 徒歩3分
地蔵
地蔵

 4基のお地蔵さんがいました。
 仏像の詳し見方がわかれば、さらに詳細がわかると思うのですが。そこまでの知識がなくて・・・
 一番右側は、正確には庚申塔ですね。

写真撮影:2009年04月13日

灯篭

バス停紺屋町下車 徒歩3分
灯篭
灯篭

 立派な石製の灯篭が奉納されていました。
 火袋には、シカの彫刻が彫られていました。
 竿の部分は縦に亀裂が入っていました。

写真撮影:2009年04月13日

庚申塔

バス停紺屋町下車 徒歩3分
庚申塔
庚申塔

 庚申塔です。庚申塚とも呼ばれます。
 大きな庚申塔ですね。
 基礎には溶岩が使われていました。地元で採掘できる岩石ではないので、どこから持ってきたんだろう。やっぱり富士山麓でしょうか。

写真撮影:2009年04月13日

お墓

バス停紺屋町下車 徒歩3分
お墓
お墓

 何かの石碑だと思って写真を撮ったんですが、軍人さんのお墓みたいです。
 「陸軍歩兵、長島直七之碑」って書いてありました。地元の軍人さんみたいです。浦賀には長島姓が多いみたいです。
 明治28年3月19日って書いてあったので、1894年(明治27年)7月に起こった日清戦争で亡くなったみたいです。1894年は、いっぱい食うよ日清ラーメンって覚えるみたいです。
 戦争で亡くなった人のお墓は、お寺の目立つところに建てることになってたみたいです。細長くて白い石を使うことが多いみたいです。

写真撮影:2009年04月13日

石碑

バス停紺屋町下車 徒歩3分
石碑
石碑

 石碑が立っていました。
 ちゃんと確認しなかったので、何の石碑なのかわかりません。旧字体が読めないので、確認してもわからないかもしれないです。
 なんとなくですが、東福寺の縁起が書かれているのではないかなって思います。
 すぐ下に、石仏がありました。

写真撮影:2009年04月13日
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