江戸時代の浦賀湊の賑わいの絵図です。なぜこんな絵図を持っているかだって?ふっ、ふっ、ふっ、ヒミツじゃ!!
海の目の前まで大きな家が建ち並んでいるのが確認できると思います。オーシャンビューな物件なので、高かったんじゃないかなって思います。廻船問屋だから海に近いほどお金持ちで、海から遠いほど勢力の弱い廻船問屋だったんじゃないかな。
和船の数もかなりあります。スゴイ数です。
おもな者は一番組水揚商人となって、蛇畑町(じゃばた)、紺屋町(こんや)、宮下町などに店を構え、多くの蔵が海岸に建ち並び、一大問屋街となっていました。
幕末の頃、廻船問屋たちの所有する廻船は、東西浦賀で約60艘を数え、宮井家もそういった問屋の中でもっとも古い一軒でした。
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