住所でいえば、内川新田は非常に狭い範囲になりますが、砂村新左衛門が開発した内川新田は実はかなりの広い面積になります。
おおよその場所ですが、JR横須賀線と京急の線路よりも海側一帯の平地のほとんどが、内川新田にあたります。
この石碑、実は砂村新左衛門が自分で建てた石碑のようです。碑文には「南無阿弥陀仏霊厳寺大誉」と刻まれています。工事によって亡くなった人を供養するために建てられたものと思われます。そういった意味で考えると、「内川新田開発記念碑」という記念碑的な存在ではなかったと思います。廃寺同然の寺を復興したり、天神社を建てたりしたことなどから、信心深い人物であったのではないかと思われます。
記念碑の側面には、たぶんハスの花かなーと思われる植物が描かれています。一生を水との闘いで終えた砂村新左衛門らしいとも言えますし、神仏との繋がりの深い植物ではるハスが描かれていることなどからも、供養塔的な意味合いの方が強かったのではないでしょうか。
三浦半島観光地図:人物事典・砂村新左衛門
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