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最光寺


最光寺(さいこうじ)

京急YRP野比駅下車 徒歩10分
地図
最光寺
最光寺

 最光寺ですが、法龍山宝積寺といいます。宗派は浄土真宗の大谷派で、本尊は阿弥陀如来です。開基は行基と伝えられています。寺の背後には富塚山(とがやまorとみつかやま)があります。地元では『浜の寺』と言われています。本尊の阿弥陀如来は、三浦大介義明の守り本尊だったといわれています。
 現在の茅ヶ崎市菱沼には、菱沼八王子神社という小さな神社があるだけで、お寺はないみたいです。何度も引っ越しを余儀なくされた、流転のお寺ですね。
 729年(天平元年)、行基により高座群菱沼村(現在の茅ヶ崎市菱沼)に建てられました。
 のち、円達上人により、再興されて宝積院と称しました。
 円光上人により、親鸞上人の弟子となり、浄土真宗に改宗し、鎌倉の松葉ヶ谷に移りました。しかし、兵火に遭い、衣笠村に移ります。
 了誓上人の時に、野比村に移りました。
 頼玄上人が1540年(天文9年)、現在地付近に移りました。
三浦半島観光地図:人物事典・三浦義明
三浦半島観光地図:横須賀市野比・富塚山
Tourist Information & Historic Spot. Saikoji, Nobi, Yokosuka City, Kanagawa, Japan.

写真撮影:2006年02月03日

最光寺の屋根

京急YRP野比駅下車 徒歩10分
地図
最光寺
最光寺

 最光寺の背後から、東京湾を眺めた写真です。この場所から見る景色、好きなんですよー。
 現在の最光寺は鉄筋コンクリート造りになっていますが、立派な屋根が特徴的です。この屋根の向こう側にある、東京湾と房総半島。見晴らしの良い場所は他にもあるんですが、ここから見る景色が綺麗で好きなんですよ。早朝に行けば、ご来光も一緒に見えるんですよ。
 江戸時代、寺が落雷で焼失したとき、たまたま海上で方向を見失っていた材木を満載した船が、この火災を見て陸地を確認し、無事に航行することができたことから、お寺の再建に材木一式を寄贈したという話が伝わっています。
 しかし、江戸時代に建てられた本堂が、1940年(昭和15年)に焼失したため、現在の場所に移りました。

写真撮影:2008年09月22日

魚貝供養塔

京急YRP野比駅下車 徒歩10分
地図
魚貝供養塔
魚貝供養塔

 日本国内でもめずらしいのではないかと思われる魚貝供養塔が最光寺境内にあります。
 縁起については、手持ちの資料がないのでわかりませんが、野比の住人は漁業と農業が主の寒村だったので、獲った魚や貝を供養するために建てられたのだと思います。ウミウシも食していたようです。
 地引網漁や、アワビ漁が盛んだったようです。
身近な生き物図鑑:身近な魚類図鑑
身近な生き物図鑑:身近な貝類図鑑

写真撮影:2006年02月03日

石仏

京急YRP野比駅下車 徒歩10分
地図
石像
石像

 最光寺境内の側溝に沿って並んでいる石像たちです。とてもたくさんありました。
 各地に点在していた、庚申塔やお地蔵さんを集めたものなのでしょうか。信仰のために納められた石仏なのでしょうか?それとも無縁仏?
 とりあえず、気になったので写真を撮っておきました。魚貝供養塔の後ろにも、四角い石がたくさん並んでいました。
 一時期は、このお寺に内川新田の開拓で知られる砂村新左衛門のお墓がありました。
三浦半島観光地図:人物事典・砂村新左衛門

写真撮影:2006年03月02日

馬頭観音

京急YRP野比駅下車 徒歩10分
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馬頭観音
馬頭観音

 ヒンドゥー教でヴィシュヌ神の化身のひとつ、ハヤ・グリーヴァ(馬の頭を持つ者)が仏教に取り入れられました。
 火焔光背を持ち、頭上に白馬の頭がつきます。観音菩薩の中では、唯一、忿怒(ふんぬ)を示します。魔を馬のような勢いで打ち伏せ、慈悲の最も強いことを表すといいます。
 江戸時代には馬の供養と結び付いて信仰されるようになりました。
 左側の馬頭観音は、比較的新しいようですが、右側の石造はかなり痛んでおり、なんなのかよくわかりませんでした。うっすらと字が彫られているようです。
 馬頭観音は道沿いに多いので、浦賀方面と、三浦方面との交通に馬が使われていたのだと思われます。

写真撮影:2006年02月03日
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