仙台藩、米沢藩は、奥羽鎮撫総督府(おううちんぶそうとくふ)に対し、会津藩処分を寛大にするように嘆願しました。しかし、まったく相手にされませんでした。
参謀世良修蔵(せらしゅうぞう)のせいだとみた仙台藩士、福島藩士は世良修蔵を襲撃して暗殺。驚くべき書簡が見付かりました。
そこには、官軍の増援部隊が到着しだい会津藩を一挙に討伐すること、奥羽はみな敵と見なして討たなければならないと書かれていました。
この書簡により奥羽諸藩の怒りは爆発し、5月3日、奥羽、越後の諸藩25藩の代表が仙台白石に集結して会議を開き、奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)が結成されました。 |