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勝海舟


幕末の三舟

勝海舟の法衣
勝海舟の法衣
 勝海舟はさまざまな名前で呼ばれる事がありますが、当サイトでは一番一般的だと思われる「勝海舟」で統一させていただきます。
 江戸幕府の海軍創設者の一人で、明治時代初期の政治家でもあります。
 幼名は勝麟太郎(かつりんたろうです。本名は勝義邦(かつよしくに)、維新後に改名して勝安芳(かつやすよし)になりました。幕末期には、安房守に任ぜられたことから勝安房(かつあわと呼ばれていましたが、安房(あほう)と同じ音の安芳と変えました。
 海舟は号名になります。佐久間象山よりもらった「海舟書屋」よりとったといわれています。山岡鉄舟・高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と呼ばれています。

トレンディ御三家(別名・平成御三家)

 余談になりますが、似た名前の人物に、加勢大周、新加勢大周がいますが、両名とも俳優であり、現在でも存命です。新加勢大周は、のち坂本一生と名を改めましたが、泣かず飛ばずで姿を消してしまいました。なお、加勢大周、吉田栄作、織田裕二の3人で「トレンディ御三家」、または「平成御三家」と呼ばれています。

勝海舟の幼少期

勝海舟
勝海舟
 1823年(文政6年)1月30日、江戸本所の貧しい旗本の家に生まれました。父の名は「小吉」、号を「夢酔」といいました。
 勝海舟は、7歳のころに、十二代将軍徳川家慶の五男の初之丞のお相手役を勤めたことがあります。しかし、数年でやめてしまいました。ちなみに、初之丞はのちに徳川慶昌と名乗り、御三卿・一橋徳川家の六代目当主となりましたが、1838年(天保9年)に14歳で亡くなっています。

剣術と蘭学を学ぶ修行の日々

勝海舟
勝海舟
 13歳のころには、島田虎之助に師事して、剣術を学びました。直心影流の免許皆伝となり、島田虎之助の薦めにより禅も学びました。
 その後、16歳で家督を継ぎ、1845年(弘化2年)から筑前黒田藩の赤坂溜池の福岡藩屋敷内に住む永井青崖に師事し、蘭学や西洋兵学を学びました。
 1849年には、それまでに学んだ知識を生かして、私塾を開き、蘭学と西洋兵学を教授するようになりました。

長崎海軍伝習所にて航海術もマスター

 勝海舟は貧しい身にありながらも、理想を高く持ち、学問に専念した甲斐があり、世の中の人々に認められるようになりました。努力家でもあり、辞書ヅーフハルマを半年かけて2冊を書き写し、1冊は自分のために、もう1冊は売ってお金を得るために使いました。
 1855年(安政2年)、蕃所翻訳御用出役を命ぜられ、同じ年には、幕府の海軍伝習生監督として長崎に派遣されました。ここでも努力を重ね、オランダの海軍士官から指導を受け、航海術など多くを学びました。

咸臨丸で太平洋横断

咸臨丸
咸臨丸
 勝海舟は咸臨丸(かんりんまる)の艦長として、1860年(万延元年)に日米修好条約批准のため、日本では初めて太平洋を横断し、アメリカを訪問しました。その出航に当たり準備をしたのが、現在の浦賀になります。
 その当時、勝海舟とかかわりがあったと思われる、鴨居の浜名主の青木四郎右衛門家には、勝海舟自筆の掛け軸が一幅残されています。
 咸臨丸には米海軍から測量船フェニモア・クーパー号船長のジョン・ブルック大尉が同乗しました。また通訳としてジョン万次郎、軍艦奉行並の木村摂津守の従者として福沢諭吉も乗り込んでいました。37日間の航海となりました。

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神戸海軍操練所を開設

咸臨丸
咸臨丸
 帰国後の1864年(元治元年)、軍艦奉行となり、神戸に海軍操練所を開設しました。坂本竜馬を塾頭とする海軍塾も開き、人材育成に当たりました。
 神戸は平安時代末期の国際貿易港でしたが、碇が砂にかみやすく、水深が深いため、大きな船も出入りできる天然の良港であったことから、西欧諸国との貿易の拠点とするよう十四代将軍徳川家茂に提言しています。

江戸城無血開城

 幕末の戊辰戦争時には、幕府軍の軍事総裁となりました。
 徹底抗戦を主張する小栗上野介に対し、早期停戦と江戸城無血開城を主張し、西郷隆盛と会見をして、江戸城無血開城を実現させました。

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明治維新後の勝海舟

お墓
お墓
 明治維新後は、参議・海軍卿、その後伯爵となって枢密顧問官となりました。日清戦争には始終反対したり、朝敵とされた慶喜の赦免、旧幕臣の生活保護など、幕藩体制崩壊による混乱を最大限抑える努力を続けていました。
 1899年(明治32年)1月21日、脳溢血で亡くなりました。享年77歳。お墓は、東京都大田区の洗足公園にあります。

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