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「江戸城を発見したー!」なんて思ったんですが、江戸城にたくさんある櫓のひとつだそうです。でも江戸城といえば、この巽櫓が代表的な建物です。
江戸城にはこうした櫓がたくさん建てられました。焼失したり、関東大震災の被害で倒壊したりしたため、現在でも残されている櫓の数はそれほど多くありません。
東南(辰巳)の方角に配置された櫓のため、巽櫓(辰巳櫓)とされています。正式名称としては「桜田二重櫓」という名前が付けられています。
1923年(大正12年)9月1日、関東大震災に被災したため損壊してしまいました。後になって、解体して復元されたものです。櫓の構造などは、明治初頭に撮影された写真や絵図、指図、文献などを参考に使用されています。
江戸城の櫓は櫓門も含め、白漆喰塗籠壁に2本の長押形を施し、破風・妻壁には銅板を青海波模様に張っていました。初重に出張を設けて石落しとしているものが多いです。こうした特徴は、幕府が関与した二条城や小田原城などの城郭にも共通しています。初重平面6間x7間、もしくは7間x8間を標準的な規模として、大坂城や名古屋城にも共通しています。 |
写真撮影:2008年04月06日 |
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少し巽櫓に近付いてみました。近付いてみると、思ていたよりも大きくて、立派な建物でした。御濠や石垣のスケールが大きいので小さく見えますが、実際には意外と大きいです。
巽櫓は着痩せするタイプの櫓です。
櫓は「矢倉」、「矢蔵」と書くこともあり、武器・食糧の貯蔵と、防衛を目的とする建築物です。櫓の最大規模のものが、天守閣となります。
櫓には独立したタイプのものと、長屋的なタイプのものがあります。
独立したものは廓(くるわ)の隅の塁上にあって隅櫓と呼ばれ、2重や3重の屋根を持つものが多いです。
復元したものですが、巽櫓は江戸城に残った唯一の隅櫓です。
長屋的なものは多聞櫓(城塁上に長く連ねる櫓)、櫓を繋ぐ渡櫓(わたりやぐら)・続き櫓などがあり、1重か2重の屋根を持ちます。この櫓と門とが結合したものが、櫓門になります。 |
写真撮影:2008年04月06日 |
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皇居周辺、とくに東京駅周辺では大規模な再開発工事が進んでいます。巽櫓の背後にも、高層ビルの建築工事が行われているのがわかります。
櫓の構造は多くの場合、塗籠で、窓と狭間を持ち、展望・射撃に使われます。
櫓は位置・用途・形状などによって、多くの名称があります。井戸櫓、太鼓櫓、時鐘櫓、鉄砲櫓、人質櫓、着到櫓などがあります。変わった櫓には、彦根城の天秤櫓、姫路城の化粧櫓、松本城の月見櫓、江戸城の富士見櫓などがあります。
江戸城では30以上の櫓がありましたが、火災・地震・戦争などによって、巽櫓、富士見櫓、伏見櫓のみが現存しています。日本を代表する史跡ですし、写真が残されている櫓も多数存在するので、観光名所として復元してくれてもいいのになー。 |
写真撮影:2008年04月06日 |
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もし敵が近付いてきたら、窓を開けて鉄砲を撃ったりや弓矢をいったりするのだと思います。
江戸時代当時の火縄銃や弓の射程距離は、最大で100mくらい。正確に人を狙う場合は、だいたい40mくらいと言われています。御濠を渡ってくる敵に対しては、十分な距離があり、御濠の向こう側にいる敵も狙える距離に櫓を設置していると思われます。実際に使われることはありませんでしたが。
出窓のように壁が張り出している部分がありますが、ここは「石落とし」と呼ばれる防御施設です。石垣を上ってくる敵に向かって、石を投げつけるというとても原始的なものですが、ほとんどの城の建物に作られています。平常時は床は塞がれており、漬物石サイズの石が近くに置かれています。石垣を上っている最中にそんな巨大な石をぶつけられたりしたら、たまったものじゃありませんよね。
石落としは、石を落とすだけでなく、弓矢をいったり、沸騰した湯や熱い油を投げつけたりもします。 |
写真撮影:2008年04月06日 |
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