そらいろネット > 三浦半島観光地図 > 東京都千代田区 > 千代田
 東京都千代田区千代田史跡巡り・観光名所案内
 千代田の歴史 
 現在、宮内庁を含む皇居、宮内庁病院、皇宮警察本部が置かれています。皇居の所在地のため、本籍地として人気がありますが一般人が居住することはできません。
 江戸城は通称、「千代田城」と呼ばれていました。現在の千代田の地名の由来も、江戸城が千代田城と呼ばれていたためです。ではなぜ千代田城と呼ばれていたかというと、将軍家の長男の幼名を「竹千代」していたことに由来します。
 全国各地に「千代田」という地名がありますが、『君が代』で「千代に八千代に」と歌われるように、長く未来永劫に渡って続く田んぼを意味している場合がほとんどです。やや高台にあり、水に富む場所が多いようです。
千代田・巽櫓
巽櫓 辰巳櫓、桜田二重櫓とも呼ばれる巽櫓。廓の隅にあるので、隅廓のひとつです。
 江戸城の遺構としては、もっとも身近で有名な櫓です。残念ながら、江戸城に天守閣はありません。
千代田・桔梗濠
桔梗濠 江戸城の内堀のひとつ、桔梗濠。
 石垣の角部分には巽櫓が建ち、三の丸の防衛施設となっています。御濠を泳ぐ水鳥たちを観察することもできます。
千代田・桔梗門・内桜田門
桔梗門・内桜田門 桔梗門、別名を内桜田門。
 太田道灌の家紋が瓦にあったことから、桔梗門と呼ばれるようになりました。外桜田門に対して、内側にあるので内桜田門。
千代田・蛤濠
蛤濠 坂下門付近でのカーブが美しい蛤濠。
 本丸と三の丸の間にあった御濠です。大部分が埋め立てられ、跡地には皇宮警察本部などが建っています。
千代田・坂下門
坂下門 江戸城西の丸に通じていた、坂下門。現在は皇居への通用門として使用されています。
 江戸時代末期の幕末、老中安藤信正が襲われた坂下門外の変が有名。
千代田・富士見櫓
富士見櫓 明暦の大火で消失してしまった天守閣に代わり、実質的な天守閣としての役割を担った富士見櫓。
 関東大震災で被災しましたが、旧来の部材を使用して復元し、再建されました。
千代田・二重橋濠
二重橋濠 二重橋の架かる濠、二重橋濠。
 水濠ですが、江戸城の他の御濠と異なり、石垣ではなく土塁になっています。土塁の上にさらに、石垣が築かれています。
千代田・皇居正門
皇居正門 皇居への入り口、皇居正門です。
 江戸時代は西の丸大手門でしたが、明治時代になって一部が取り壊され、皇居正門になりました。門の構造は高麗門と櫓門からなる、江戸城では標準的な枡形門でした。
千代田・二重橋
二重橋 正式名称は、皇居正門鉄橋です。かつての木造橋時代、橋桁が二重になっていたため「二重橋」と呼ばれるようになりました。
 残念ながら、一般人は許可がないと通ることができません。
千代田・伏見櫓
伏見櫓 皇居外苑からは一部しか見ることのできない伏見櫓。左右に多聞櫓を持つ、立派な二重櫓です。
 伏見城から移築したと言われています。別名、月見櫓ともいいます。
千代田・皇居正門石橋
皇居正門石橋 ほとんどの人が二重橋だと思っている眼鏡橋、皇居正門石橋。
 日本の建築文化と、西洋の建築文化の調和がとても美しい場所です。誰が写真を撮影しても、良い写真が撮れます。
 
メインコンテンツ
 ・家庭の医学
 ・身近な植物図鑑
 ・身近な昆虫図鑑
 ・身近な野鳥図鑑
 ・身近な貝殻図鑑
 ・身近な生き物図鑑
 ・ベランダ園芸
 三浦半島観光地図
 ・大人の塗り絵
 ・ゲーム情報局
 ・日記
 ・コミュニティー
スポンサードリンク

江戸城
江戸城本丸詳図
関東の名城を歩く 南関東編: 埼玉・千葉・東京・神奈川
関東の名城を歩く 南関東編
人文・社会・歴史・日本史

  東京都  
千代田区外神田 そらいろネットホーム 千代田区丸の内
Copyright そらいろネット(ちーず。) All right reserved