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 富士見櫓

富士見櫓 JR東京駅下車 徒歩10分
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富士見櫓
富士見櫓
 たぶん、富士見櫓だったと思うんだけど、間違ってたらスマン。皇居内には入らず、皇居外苑から御濠越しに撮影したので、間違ってるかもしれない。
 クロマツの木に隠れて、肝心の富士見櫓がほとんど映ってないんだけど(^^;)。富士山が見えることから、富士見櫓と名付けられています。秩父連山や筑波山、東京湾などを臨むこともできました。どこから見ても同じ形に見えるため、八方正面の櫓とも呼ばれていました。石垣の高さは14.5m、櫓の高さは15.5mあります。
 江戸城天守閣は、1657年(明暦3年)の明暦の大火で、開いていた二重目の銅窓から火が入り焼失してしまいました。焼失後、すぐに再建計画が実施され、現在も残る御影石の天守台が前田綱紀によって築かれた。しかし江戸市中の復興を優先させることから、天守閣の再建は中止となりました。以後、本丸の富士見櫓が実質的な天守となりました。これ以降、諸藩でも天守閣の再建・建造を控えるようになり、天守であっても「御三階櫓」などとするようになりました。
三浦半島観光地図:東京都千代田区千代田・本丸天守台
 現在の伏見櫓・富士見櫓・巽櫓などは、大正時代の関東大震災で被災し損壊しました。明治時代に撮影された写真、絵図、指図、文献などを用いて、解体して復元されたものです。主要部材は旧来の物を使用して再建されました。
三浦半島観光地図:東京都千代田区千代田・伏見櫓
三浦半島観光地図:東京都千代田区千代田・巽櫓
 石垣は関東大震災の被害を受けなかったそうです。石垣には伊豆の自然石が使われ、野面積みという積み方をしています。加工していない自然石を積む工法で、慶長年間以前のほとんどが野面積みです。石垣表面の隙間には詰め石をし、外見は乱雑ですが、堅牢です。牛蒡積みと言い、石の大きい面を内側にして長く押し込み、その内側に小型の栗石を1m〜1.5mほど詰め、さらに砂利を入れる手法が用いられたので、堅固な上に水はけも良く、水圧で崩れることがありません。野面積みでは一定方式がないため、乱石積みとも言います。
 なお、太田道灌の歌に「わが庵は松原つづき海近く富士の高嶺を軒端にぞ見る」と詠まれていますが、その歌を詠んだ場所がこのあたりではないかと考えられています。
写真撮影:2008年04月06日
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