はるか遠くに、大きな門が見える。とても立派そうな感じです。江戸城で残っている史跡は少ないんですが、どれもスケールが大きいですね。
1862年2月13日(文久2年1月15日)、尊皇攘夷派の水戸浪士6名が老中・安藤信正を襲撃し、負傷させる事件が起こりました。世にいう坂下門外の変の起きた場所です。桜田門外の変同様、水戸藩浪士によって引き起こされた事件です。
桜田門外の変で大老・井伊直弼が暗殺された後、老中・久世広周と安藤信正は幕府の実権を握りました。井伊直弼の開国路線を継承し、幕威を取り戻すため公武合体を推進。この政策により皇女和宮降嫁を決定し、第14代将軍徳川家茂の正妻となりました。しかし、尊王攘夷派志士らはこれに反発し、事件が起こりました。
直訴を装って行列の前に飛び出し、駕篭を銃撃。弾丸は駕篭を逸れて小姓の足に命中しましたが、この発砲を合図に5名が行列に斬り込みました。駕籠に刀を突き刺し安藤の背中に軽傷を負わせましたが、城内に逃げ込まれ暗殺計画は失敗。浪士ら6名は目的を遂げることなく、闘死しました。
しかし、桜田門外の変に続く幕閣の襲撃事件は幕府権威の失墜を加速させました。この事件がきっかけで、安藤は4月に老中を罷免され、8月には隠居・蟄居を命じられ、磐城平藩は2万石を減封されました。
三浦半島観光地図:東京都千代田区皇居外苑・桜田門 |
写真撮影:2008年04月06日 |
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