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蛤濠の内側が、江戸城の本丸になります。現在で言うところの東御苑です。本丸防衛のため、やや水深の深い水濠になっています。
現在はありませんが、石垣の上には、隅櫓として蓮池巽三重櫓がありました。石垣に段差があるので、隅櫓が設置されていたことがわかると思います。
江戸時代には、二の丸北側の天神濠まで繋がっていました。明治時代以降、要塞としての機能が必要なくなり、大正時代に蛤濠は一部を残して埋め立てられ、現在の姿になりました。
三浦半島観光地図:東京都千代田区千代田・天神濠
それにしても気になるのが、蛤濠の名前の由来。蛤と聞けば、蛤御門の変を思い浮かべますが、京都御所にある門の名前で江戸城とは無関係です。1788年(天明8年)の天明の大火の際、固く閉じていたのが火にあぶられて開いたハマグリのような門ということに由来して蛤御門と名付けられました。この時すでに、江戸城の蛤濠は完成しています。
蛤濠は坂下門付近で大きくカーブしているので、その部分がハマグリのベロの部分に似ているから、蛤濠と名付けられたのでしょうか。それとも御濠を造った当時、この御濠は海に面していたこともありハマグリが獲れたからでしょうか。
身近な貝殻図鑑:ハマグリ |
写真撮影:2008年04月06日 |
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