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多くの木々が生い茂っていて見えづらいのですが、伏見櫓を見ることができました。こういった建築物を見ると、城郭に来たんだなーっていう気分を味わうことができますね。
東日本では山城が多いので、天守のある城が少ないんですよね。軍事上の防衛拠点としてだけ考えた場合、平地に石垣を積んで作る平城よりも、山城の方がはるかに強固です。鉄砲の普及によって城郭に求められる構造が異なっても、それでもやはり山城の方がはるかに有利です。
平城の利点は、領国経営をしやすい、城下町が発展しやすいなど、経済的な部分が重視されています。
寛永5年(1628年)、江戸城築城の第2期(第三代将軍徳川家光の時代)に京都の伏見城の櫓を解体して移築したものと言われています。そのため、伏見櫓と呼ばれるようになりました。ちなみに伏見城は、関ヶ原の合戦後に徳川家康が再建したものです。
櫓の高さは約13.4mあります。別名は「月見櫓」です。伏見櫓では連続した長屋作りの多聞櫓が残っていてます。多聞櫓が残っているのは、江戸城では伏見櫓だけです。
江戸城と言っても、城郭としての面影を残す建物は、ごくわずかしか残っていません。火事で消失し、明治新政府以降取り壊され、関東大震災で被災し、実に多難の江戸城です。城郭としての面影を残すものは、巽櫓、富士見櫓、伏見櫓くらいです。
三浦半島観光地図:東京都千代田区千代田・巽櫓
三浦半島観光地図:東京都千代田区千代田・富士見櫓
伏見櫓も1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊し 、解体復元されたものです。崩れた土手からは数体の人骨が見付かり、人柱ではないかと考えられていました。江戸城築城は諸大名が競って造営に当たったため、事故で行方不明になった職人の人骨ではないかとも考えられています。
写真ではわかりませんが、御濠の上に石垣が設けられ、石垣の上に土塁が設けられ、さらにその上に石垣を造り、伏見櫓が建っています。伏見櫓は二重櫓でそれほど高さのある建物ではありませんが、このようにして高台に造られているので、高く感じます。 |
写真撮影:2008年04月06日 |
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