多くの江戸城の建築物が残されていないのと同様、馬場先門も現在は残っていません。江戸城の施設は、江戸時代から壊れたり、建て直したりを繰り返していたんですよ。征夷大将軍の代が変わって建て直したり、建て直すつもりで取り壊したけど財政難で建て直せなかったり、火事で焼失したり、地震で倒壊したり。
明治時代以降、さらに多くの建物が取り壊されちゃって。明治時代以降の日本人には、過去や歴史を大切にせず、和風の古い物は悪く、洋風の新しい物は良い物だとかっていう考え方が浸透してしまって。それが現代まで続いているんですよねー。
場先門は、江戸城築城当時はありませんでした。1629年(寛永6年)、浅野長晟と加藤忠広によって作られた枡形門です。明暦の大火で焼失してしまい、1660年(万治3年)に再建されますが、1773年(明和9年)にも焼失してしまい、翌年に再建されました。翌年再建されました。その門も明治9年に撤去され、現在は、鍛冶橋から内堀通りにいたる道路が拡幅されており、門の遺構はありません。
江戸城西の丸の東側には馬場があったため、隣接する門は馬場先門と呼ばれるようになりました。1668年(寛文8年)までは、不開門(あかずのもん)と呼ばれていました。
日露戦争の勝利を祝う行列が馬場先門を通過する際に死傷者が出たため、明治39年、堀の一部を埋め立て鍛冶橋から内堀通りにいたる道路が拡幅され、馬場先門は撤去されました。史跡を示す柱が立っているだけで、門の遺構は残っていません。
馬場は軍馬を育てたり、騎馬修練を行ったりする場所のことです。かつて城があった場所の近くでは、現在でも馬場という地名が多く残されています。一番有名なのは東京都新宿区にある高田馬場でしょうか。江戸幕府の三代将軍・徳川家光によって旗本の馬術の訓練や流鏑馬などを行うために造られた馬場です。
|