行幸通りから見た、和田倉橋と和田倉濠。ちょっと距離が離れていたため和田倉橋まで行きませんでしたが、橋の全景を見るには遠く離れている方が見やすいですね。
江戸城にはたくさんの橋が架けられていますが、和田倉橋はあまり有名じゃないかも。木造風に作られていますが、現在は鉄筋コンクリート製です。1620年(元和6年)、枡形石垣が造られ橋と一体化して和田倉門が作られていました。現在は枡形の石垣と橋が残っています。
江戸城内郭門のひとつ和田倉門に通じる橋で、造られた正確な年代はわかっていません。慶長の頃までは「蔵の御門」とも呼ばれていました。1602年(慶長7年)の『別本慶長江戸図』には、すでに描かれ「 蔵の御門と伝、士衆通行の橋」と記述があります。
鉄砲十挺・弓五張・長柄槍十筋・持筒二挺・持弓一組が常備され、警備は2万石〜3万石の譜代大名が担当していたと言われています。
もともとこのあたりに和田という村があり、江戸城築城後、そこに大きな蔵が2棟、建てられました。そのため、和田の蔵ということで和田倉という地名になったと考えられます。江戸城中でも蔵地であったことがわかります。
明治時代になると、この辺り一帯は軍用地とされ和田倉門は陸軍の調馬厩となってしまいました。1923年(大正12年)9月1日、関東大震災で建造物は大きな被害を受け、和田倉門は復旧されませんでした。
1972年(昭和47年)、和田倉橋は以前の木造風の橋を模して再建された、鉄筋コンクリート製です。欄干は木製になっています。
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