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和田倉橋


和田倉橋

JR東京駅下車 徒歩3分
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和田倉橋
和田倉橋

 行幸通りから見た、和田倉橋と和田倉濠。ちょっと距離が離れていたため和田倉橋まで行きませんでしたが、橋の全景を見るには遠く離れている方が見やすいですね。
 江戸城にはたくさんの橋が架けられていますが、和田倉橋はあまり有名じゃないかも。木造風に作られていますが、現在は鉄筋コンクリート製です。1620年(元和6年)、枡形石垣が造られ橋と一体化して和田倉門が作られていました。現在は枡形の石垣と橋が残っています。
 江戸城内郭門のひとつ和田倉門に通じる橋で、造られた正確な年代はわかっていません。慶長の頃までは「蔵の御門」とも呼ばれていました。1602年(慶長7年)の『別本慶長江戸図』には、すでに描かれ「 蔵の御門と伝、士衆通行の橋」と記述があります。
 鉄砲十挺・弓五張・長柄槍十筋・持筒二挺・持弓一組が常備され、警備は2万石〜3万石の譜代大名が担当していたと言われています。
 もともとこのあたりに和田という村があり、江戸城築城後、そこに大きな蔵が2棟、建てられました。そのため、和田の蔵ということで和田倉という地名になったと考えられます。江戸城中でも蔵地であったことがわかります。
 明治時代になると、この辺り一帯は軍用地とされ和田倉門は陸軍の調馬厩となってしまいました。1923年(大正12年)9月1日、関東大震災で建造物は大きな被害を受け、和田倉門は復旧されませんでした。
 1972年(昭和47年)、和田倉橋は以前の木造風の橋を模して再建された、鉄筋コンクリート製です。欄干は木製になっています。

写真撮影:2008年04月06日

和田倉門

JR東京駅下車 徒歩3分
地図
和田倉門
和田倉門

 和田倉門は、他の皇居の門と同様、関東大震災で被災してしまいました。その後、和田倉門は再建されることはありませんでした。
 和田倉橋を通って、皇居外苑に入った方が良かったかな?東京駅から歩いてきたので、行幸通りを通って皇居外苑に入りました。行幸通りも工事が行われたため、私が見に行った時と変わってるんですよね。
三浦半島観光地図:東京都千代田区丸の内・JR東京駅
三浦半島観光地図:東京都千代田区丸の内・行幸通り
 幕末の頃には、門内には松平容保の上屋敷がありました。松平容保は会津藩9代目藩主で、会津藩最後の藩主でもあります。幕末には新撰組で有名な、京都守護職の任に就きました。水戸藩主徳川治保の子孫で、高須藩主松平義建の六男です。

写真撮影:2008年04月06日

和田倉濠

JR東京駅下車 徒歩3分
地図
和田倉濠
和田倉濠

 和田倉濠は、江戸城の水堀のひとつです。河川と繋がっているわけではないので、流れがなく水面はとても静かです。
 堀は敵からの侵攻を防ぐために造られるものですが、外敵のいなくなった徳川幕府にとっては必要ないものなのかもしれません。外敵から城を守る目的で造られるよりも、権勢を広く知らしめるために造られたのかもしれません。
 行幸通りが和田倉濠と馬場先濠を横切っています。行幸通りは東京駅正面から皇居外苑に通じる道路です。この道路は、大正13年8月〜大正15年8月まで2年間かかり、当時のお金で数10万円かけて完成しました。内濠の埋め立ては難工事だったと伝えられています。

写真撮影:2008年04月06日

石垣

JR東京駅下車 徒歩3分
地図
石垣
石垣

 江戸城の石垣については、さまざまな逸話が残されています。場所によって石の積み方が異なるのも、江戸城の特徴のひとつです。とにかく立派な石垣で、よくぞここまで石を集めたものだなーと感心します。
 これらの石垣は、はるばる伊豆半島から運ばれてきた石を使っています。石はとても重く、暴風や高波のため各地で落としたり、船が沈没しています(^^;)。築城に使われた木材も、各地から運び込まれたものです。
三浦半島観光地図:横須賀市野比・白髭神社
三浦半島観光地図:横須賀市吉井・御林
 この石垣の石垣普請は、山内一豊、藤堂高虎、木下延俊あたりかな?

写真撮影:2008年04月06日
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