芦名の淡島神社は、小彦名神(すくなびこなのかみ)が祭神で、和歌山県和歌山市加太にある淡島神社を勧請したと伝えられています。
淡島神は住吉神の妃でしたが、帯下の病を患ったため海に流され、3月3日に紀州(現在の和歌山県)の淡島に漂着して祭られた女神とされています。そのため、淡島様は婦人病に霊験あらたかと言われています。また、縁結びや安産祈願の神として、女性の信仰を集めています。
3月3日の例大祭では多くの参拝者でにぎわい、参道には露店が立ち並びます。かつては、近隣の小学校は授業を半日で切り上げ、女の子たちは淡島神社へと参拝しました。
江戸時代のころから三浦半一帯から多くの参拝者が集まり、1812年(文化9年)に編纂された『三浦古尋禄』には「毎年二月三日には郡中の婦人参詣群衆す」と記されています。
「会わせてください淡島さまよ、お礼参りは二人づれ」と、麻を結んだ底なしの柄杓(ひしゃく)を奉納する習慣があります。
柄杓を奉納する習慣は全国各地の安産祈願で見られますが、祭神が淡島へ流された折り、船がみず船となり、妃神は柄杓で水をかきだしましたが、途中で底が抜けてしまいましたが、それでも水をかき出すことができたという故事にちなんでいます。
気が付いた人も多いのではないかと思いますが、社殿前には男根が安置されます。
これは宮司さんの趣味で安置しているわけではなく、淡島神社近くのエビス崎の岩穴に祀られていてエビス様のご神体です。古くから雨乞いや大漁の神として、土地の人々から信仰を集めてきました。岩穴が崩れてしまったので淡島神社に移され、出産に関係があることから、祭礼に使用されるようになりました。
社殿右手の豆腐は、針供養に使われているもので、宮司さんが湯豆腐を食べるためではありません。本来、針供養は2月8日に行われるものですが、淡島さまは女性の神様であることから、淡島神社では3月3日に行われています。
雛流しは三浦半島に春を告げる風物詩となっており、多くの人でにぎわいます。
人形供養のために神社に納められた雛人形が小舟に乗せられ、神社から芦名海岸へと運ばれます。このとき、宮司を先頭に、巫女、氏子総代、芦名町内会長などが続きます。
砂浜には四方に青竹を立てて注連縄を張り、神事が執り行われます。宮司が祝詞を奏上し、榊で小舟を祓い、神楽が奉納された後、氏子総代長から順番に玉串を奉奠します。
一連の神事が終わり小舟は海に送り出され、宮司や巫女が乗った船に引かれて、湾内を3周ほどクルージングします。
流し雛と言っても、環境への配慮等から小舟を流すわけにはいかないので、神社の授与品で願い事などが書かれた流し雛のお守りを、巫女の手によって海に流されます。やはり環境への配慮から、水に溶ける素材で作られています。
淡島神社の雛流しは、1989年(平成元年)から始められた新しい行事ですが、いずれ横須賀市の重要文化財に指定されるのではないかと思っています。
淡島神がうつろ船で流された故事に由来し、和歌山市加太の淡島神社でも雛流しの神事が行われています。
自分の穢れや災厄を、紙の雛人形などに託して海や川へ流す習慣は、日本各地に存在します。
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