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玉姫稲荷


玉姫稲荷

バス停走水1丁目下車 徒歩3分
地図
玉姫稲荷
玉姫稲荷

 気が付く人がほとんどいないんじゃないか、どことなく近づきがたい雰囲気のある稲荷神社。神社・仏閣など、史跡巡りを趣味にしていますが、なぜか近付きづらい雰囲気を感じたんですよね。たまにそうした空気を感じる場所があるんですよ。荒ぶる神の怒りを感じたのかな?
 伊勢町町内会の有志による説明看板が、ひっそりと建っていました。
 明治時代中期から地元で親しまれてきた稲荷神社です。しかし2003年(平成13年)4月10日、何者かに放火され焼失してしまいました。
 放火した犯人は見付かったのでしょうか?できることなら自首して欲しいものですね。もしかしたら放火した犯人は、死んでしまうかもしれない、なんとなくそんな感じがしました。

写真撮影:2008年04月02日

玉姫稲荷

バス停走水1丁目下車 徒歩3分
玉姫稲荷
玉姫稲荷

 放火される前は、多くの鳥居が立ち並んでいました。しかし現在の鳥居は、ひとつだけとなってしまいました。かつて鳥居があった場所には、台石だけが寂しく残されています。
 放火される前の写真、撮影しておけば良かったですね。
 玉姫稲荷といえば、東京都台東区にある玉姫稲荷が有名かな?走水の玉姫稲荷とは、由来がまったく異なるようです。稲荷神社の祭神は、宇迦之御魂神が一般的です。総本山は京都の伏見稲荷大社になります。
 走水の玉姫稲荷には、以下のような伝説が残されています。
 清水という屋号の娘に、お玉さんという女性がいました。年頃になったころ、野狐に憑りつかれてしまい、何を食べても痩せ衰えるばかりでした。
 そのため小さな祠を建て、毎日、油揚げや甘酒を供えてお祈りしていたところ、いつの間にか憑りついていた野狐は祠に移りました。祠の御供え物が気に入ったのだと思います。
 その後、お玉さんの身体も軽快し、長生きしたと伝えられています。
 それ以降、この祠を玉姫稲荷と呼ぶようになりました。
 明治時代中期からとあるので、走水水道敷設の安全を祈願して建てられた小祠だと思ったのですが。残された伝説は、江戸時代に良くある話です。お玉さんが実在して長生きしたのであれば、昭和の後期まで生きていてもおかしくないのですが・・・
 あまり細かい時代考証を考えるのはやめておきましょう(^^;)

写真撮影:2008年04月02日
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