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横須賀市走水史跡巡り・観光名所案内


横須賀市走水の歴史

走水の歴史

  観音埼灯台 三浦半島の東端にあり、東京湾に突き出た小原台にあります。

 奈良時代に見られる郷名で、相模国御浦郡に属します。
 『日本書紀』では、景行天皇40年是歳条に、日本武尊が東征の途中で暴風に遭い、弟橘媛が海に入水したので「暴風即止、船得著岸、故時人号其海、日馳水也」とあります。
 『古事記』では、「渡走水海之時、其渡神輿浪、廻船不得進渡」とあります。
 天平7年閏11月10日の相模国封戸租交易帳では、「従三位山形女王食封 御浦郡走水郷伍拾戸 田壱伯壱拾拾捌町肆段染拾陸歩」とあります。内訳は不輸租田27町2反316歩、見輸租田91町1反120歩、租1367束でした。

 戦国時代にも見られる地名で、相模国三浦郡に属します。
 『役帳』では、小田原北条氏の御家中役之衆で富塚寄子たる吉岡与次郎の所領役高として「四拾貫百廿六文 三浦 走水」とあります。

 江戸時代にも見られる村名で、三浦郡に属します。
 寛永10年は幕府領、元禄10年は上野前橋藩領、幕末には幕府領となっています。
 村高は『元禄郷帳』、『天保郷帳』、『旧高旧領』とも、179石余です。そのうち2石は曹洞宗大泉寺領で、天正19年の徳川家康寄進状写に「大泉寺・・・三浦郡走水郷之内 弐石之事」とあります。
 慶長19年、三崎とともに向井正綱・小笠原信盛らが陣を張ったところで、寛永元年三崎御番となった幕府御舟手向井忠勝は、寛永9年に走水御番を兼任し、海岸防備と近隣の行政を行いました。寛永18年、村内御所ヶ崎に番所を建設し、正保2年に田村長衛が与力5騎・同心30人を預けられ専任の走水奉行となりました。三崎番所・走水番所は江戸への廻船改めを行うようになり、三崎番所は江戸への上り船、走水番所は下り船を対象にしましたが、元禄9年に両番所が廃止され、下田番所が引き継ぎ、享保5年からは浦賀番所が行うことになりました。番所の廃止によって、これまで立ち並んでいた番所・陣屋・代官屋敷・与力同心屋敷・船蔵などは、ことごとく破却されてしまいました。
 延宝2年、江戸本材木町新肴場の附浦となり、漁獲物はすべて新肴場へ送ることとされました。

 『豆相海浜浦々図』では、湊の広さは湊口2町半程、奥行3町45間、深さ5丈5尺〜6丈まで、廻船40艘ほどが停泊でき、所有船数は押送船2、小船69、船年貢は永14貫443文、鮑栄螺運上永1貫文、御菜鯛7掛を年々上納しています。
 『三浦古尋禄』では、家数180軒余とあります。
 『新編相模』では、江戸から16里、東西7町、南北10町、家数199軒、鎮守は走水権現社、寺院には大泉寺のほか、浄土宗覚栄寺、日蓮宗円照寺があります。「章魚此地海中に産するを美とす、俗に三浦章魚と称す」とあります。

 明治元年、神奈川府を経て、神奈川県に所属します。
 『皇国地誌』では、税地は74町9反余、うち田2町9反余・畑31町3反余・宅地4町1反余、地味は痩せていて、米・桑・茶には不適、明治9年調べの戸数288・人口1223、船数167、教員数3・生徒数72の公立小学校、走水砲台址、幕末構築の台場址2があります。民業については農業40戸・商業8戸・漁業168戸・工業4戸、農間に女性で薪採りする者500人・麻糸39人とあります。物産は東京、および浦賀町へ送るとあります。
 明治22年、浦賀町の大字となります。
 明治24年、戸数234、男787人、女700人。

 昭和18年、横須賀市の大字となります。
 昭和29年、一部が馬堀町となります。昭和39年、残余が走水と鴨居になります。
 昭和39年、横須賀市の町名となりました。

 Tourist Information & Historic Spot. Hashirimizu, Yokosuka City, Kanagawa, Japan.

地名の由来

   馳水とも書きました。
 東京湾の潮流が速いことに由来しています。
 また、水源として古くから知られており、豊富な湧水に由来するとも言われています。
     
馬堀海岸 走水 鴨居
馬堀町 二葉 小原台

タコ漁


タコ漁 江戸時代、走水産のタコは走水蛸と呼ばれ、とても美味しいと評判でした。三浦半島の特産品のひとつでした。
 当時使われていた漁器具などを紹介しています。

防衛大学校


防衛大学校 自衛隊員になるための大学です。いわゆる士官学校。通称、防大と呼ばれています。
 入学式では戦闘機が飛び交い、棒倒しでは血しぶきが飛び交います。

打製石器


打製石器 走水で見付かった打製石器です。
 走水のどこで見付かったのかや、時代などはわかりませんでした。

防衛大学走水海上訓練場


防衛大学走水海上訓練場 防衛大学で海上任務にあたる人を訓練する場所。
 背後の岬は、伊勢山崎です。走水第三砲台の見張り小屋らしき廃墟があります。

走水港


走水港 走水のアジで有名な小さな漁港、走水港。
 船宿がたくさんあり、乗合船に乗って釣りが楽しめます。頻繁に漁船が出入りしています。

走水神社


走水神社 三浦半島随一のパワースポット、走水神社。
 古事記や日本書紀にも登場する伝説が残る神社。日本武尊と弟橘媛命が祭られています。

働く船たち


船舶 走水から見ることができた、浦賀水道を行き交う船舶です。
 走水は浦賀水道に近いため、多くの大型船を見ることができます。観音崎の方が近いんだけどね。

大泉寺


大泉寺 走水山大泉寺といい、曹洞宗のお寺です。
 ご本尊の延命地蔵は、横須賀市の重要文化財に指定されています。境内では豊富な湧水が流れています。

円照寺


円照寺 日蓮宗のお寺で、東向山円照寺。
 鎌倉時代に沈められた半鐘が、500年後の江戸時代に引き上げられ、現在も保存されています。

覚栄寺


覚栄寺 浄土宗のお寺で、本水山道清院と言います。
 境内裏山には、まるでトーチカ要塞のような、海軍覚栄寺裏山貯水池があります。境内には江戸幕府船奉行の向井一族の墓もあります。

走水2丁目公園


走水2丁目公園 走水2丁目にある小さな公園、走水2丁目公園。
 カニとヤドカリの遊具が設置してある、珍しい公園です。公園動物園ならぬ、公園水族館。

旗山崎・御所ヶ崎


旗山崎・御所ヶ崎 ふたつの地名を持つ場所。日本武尊が東征の際に、陣屋を設けたことに由来する地名です。
 江戸時代以降は、お台場が建設され、砲台となりました。

走水小学校


走水小学校 海に隣接して建つオーシャンビューな小学校、針清水小学校。行事も海に関するものが多いです。
 横須賀市内でもとても歴史のある、古い小学校です。ホタルの舞う小学校でもあります。

地層


地層 走水地区で見ることができる地層。
 三浦層群になると思います。地学の知識がないので、詳細な情報を調べることができません。

走水海岸


走水海岸 走水海岸・伊勢町海岸。
 遠浅の海岸で、潮干狩りのレジャースポットとして有名な海岸。夏は海水浴場となります。

伊勢町町内会館


伊勢町町内会館 伊勢町の町内会館。
 町内会館には、ポックリ観音として信仰されている伊勢町観音があります。元々は走水小学校近くの破崎に祀られていたものです。

走水水源地


走水水源地 横須賀製鉄所で使用する水を供給するために造られた、軍需目的の水源地。市内唯一の水源で、災害時の応急給水拠点となっています。
 湧水の美味しい水を飲むことができます。

マンホール


マンホール 走水で見付けたマンホールの数々。マンホールマニアにしかわからないページ。
 走水ならではのマンホールも発見しました。

玉姫稲荷


玉姫稲荷 見過ごしてしまいそうなほど小さな神社、玉姫稲荷。
 放火に遭い、小さな社殿はさらに小さくなってしまいました。お玉さんの伝説が残る神社です。

走水隧道


走水隧道 連続して2つのトンネルがある走水隧道。
 元々は走水水源地から横須賀製鉄所まで、水道の送水のために掘られたトンネルです。

走水低砲台


走水低砲台 連

 
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