日本武尊と弟橘媛命の伝説の地、御所ヶ崎です。現在は旗山崎公園となっています。これといった遊具などが設置されることもなく、とても広々とした落ち着いた公園です。
旗山崎公園のこの先に、砲台跡があるはずです。フェンスがあるので、乗り越えないと砲台跡地に辿り着くことはできないみたいです。
横須賀市は古い物はどんどん壊して、新しい箱物を作ろうとする習慣が強いので、砲台跡の遺構などは貴重な物なので保存して残しておいて欲しいですね。行政は本当に大切な物がわからないみたいで・・・。走水砲台は、観音崎の砲台と同じように、保存状態の良い遺構となっています。
このフェンスの先に走水低砲台があります。
見学を希望する場合、猿島公園専門ガイド協会かNPO法人よこすかシティガイド協会に連絡をすればガイドさん付きで案内してもらえます。
公衆トイレと併設されている横須賀市下水道走水ポンプ場。
史跡巡りや植物観察をしていると、正直なところトイレに困ることが多いんですよね。観光地なら公衆トイレもありますが、私が巡る史跡は観光地ではないためトイレがないこともしばしば。あったとしても、感染症にでもなっちゃうんじゃないかとか、靴が汚れるとかって思うくらい汚いトイレだったりとかして。
こうしてちゃんとした公衆トイレがあるのは、とてもありがたいです。
旗山崎から見た海の景色。海水が透き通っていて透明度も高く、海底の様子まで見ることができます。
旗山崎の先端まで行ったわけではありませんが、これだけ東京湾の見晴らしが良ければ砲台を作るには最適の場所だなーと感じることができます。
公園内のフェンスを乗り越えるか、公園の左右どちらかに迂回すれば、釣りができるポイントもありそうです。
とっても頑丈そうに組み上げられた石垣。隙間なく、上手に組み合わされています。
この石垣は砲台を造ったときに、護岸工事されたものだと思います。損傷を受けることなく今でも残っているなんて、すごいですね。
フェンス越しにしか確認できませんでしたが、とてもしっかりした護岸工事がされています。
バーベキューと打ち上げ花火は禁止されているようです。
走水神社に所蔵されている、弟橘媛命の入水の図です。荒ぶる神を鎮めるために、荒ぶる髪をした弟橘媛命が身投げして怒りを鎮めたという伝説です。
この当時から、女性の髪は長かったんですね。なんとなくメーテルのように見えるのは気のせいでしょうか・・・。エメラルダスっていう雰囲気ではないですよね。やっぱり、メーテルですよね。峰不二子とも違うし。
まあ、ハッキリいって、メーテルでも峰不二子でも、どっちでもないんだけど。
遠くから見た御所ヶ崎の様子。砲台を築くのには、ちょうど良さそうな場所ですね。周囲を海に囲まれている上、やや高台になっているので砲撃に有利です。
この写真が撮られた時には、すでに砲台はなくなっているみたい。絵葉書には御所ヶ崎公園と書かれてありました。
明治時代になると、さらに東京湾口に数々の砲台が築かれ、明治26年頃には15もの砲台が築かれました。これらの砲台軍は日清戦争・日露戦争に備えるものでしたが、その後に飛行機が発達し砲台は廃止されていきました。関東大震災では、多くの砲台が崩壊してしまいました。
1934年(昭和9年)、重砲兵学校の演習砲台として使用されるようになりました。
「ローエングリン発射!!」って感じに、ものすごい勢いで大砲が発射されています。
実はこの絵は、実際に大砲を発射しているわけではなく、狼煙(のろし)として使用した空砲です。発射の際の音と煙で、異常を知らせるものだと考えられます。
現在でも護衛艦には大砲が装備されていますが、発射時に音はしますが煙はほとんど出ません。使われている火薬の違いによるものです。当時は黒色火薬が使われていましたが、現在はより威力のある無煙火薬が使われています。
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