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円照寺


円照寺

バス停走水神社下車 徒歩3分
地図
円照寺
円照寺

 走水神社、大泉寺、円照寺、覚栄寺と、4件の神社仏閣が立ち並んでいます。どこまでがどの神社や寺院の境内になるのか、境界線が良くわからなくて。間違えて掲載しちゃっているかもしれない。
 日蓮宗のお寺です。東向山円照寺と言います。
 1398年(応永5年)、日海上人によって開山されました。
 本尊は仏、法、僧の三宝です。走水沖で引き揚げられた銅鐘と経文も祀られています。

写真撮影:2008年04月02日

円照寺

バス停走水神社下車 徒歩3分
円照寺
円照寺

 円照寺の本堂は、意外とこじんまりとしています。
 本堂には1822年(文政5年)に漁師が走水沖から引き揚げたという銅鐘が祭られています。鐘は病気平癒の本尊として、「おかね様」と呼ばれていましたが、現在ではお金が戻る鐘として信仰されています。
 墓地には幕末期に江戸湾海防に従事した会津藩士の墓6基、川越藩士の墓1基があります。境内をちょっと探してみたんですが、残念ながらそれらしき墓石は見付けることができませんでした。
 後日調べてみたところ、墓地の片隅に無縁仏のように並べられている墓石が、会津藩士と川越藩士の墓だそうです。今ではお墓参りに来てくれる人もいなくなってしまったということなのでしょうか。

写真撮影:2008年04月02日

宇宙人の石仏

バス停走水神社下車 徒歩3分
宇宙人の石仏
宇宙人の石仏

 これはやはり、地球外知的生命体でしょうか。つまり宇宙人。日本の江戸時代、この走水の地に宇宙人が遭難してきたのかもしれません。
 世界各地に宇宙人らしき存在が歴史的遺物などとして残されているので、走水の地にも宇宙人が訪れていてもおかしくないと思います。その姿をみた石工が、3人の宇宙人を石仏として残したのかもしれません。
 会津藩は江戸幕府の命を受け、ある者は単身で、またある者は家族も連れ、三浦半島の海岸警備と台場構築のために派遣されました。会津藩は、走水、浦賀、城ヶ島の3ヶ所に砲台場を造り、浦賀の平根山、観音崎、三崎の北条山に陣屋を設けて外国船に備えました。
 遠く離れた異郷の地での生活はつらく厳しいものであっただろうことは想像に難くありません。子弟を教育するため、三崎に集義館を、観音崎に養正館という藩の学校を建てました。養正館には、約40名の生徒がいたと記録されています。
 1820年(文政3年)、沿岸警備の任務が会津藩から浦賀奉行に移り、会津藩はその任を解かれますが、ペリーが来航した1853年(嘉永6年)には房総半島で再び任務に就き、ペリーが久里浜へ上陸した時には海上警備を担当しました。
 病没した藩士やその家族48名は、走水の円照寺、鴨居地区腰越の山腹、能満寺、西徳寺の墓地に葬られました。
 明治維新で会津藩が新政府軍に敗れると、会津を離れ横須賀へ移り住んだ人も多く、その子孫は現在も市内に住んでいます。

写真撮影:2008年04月02日

カエルの石仏

バス停走水神社下車 徒歩3分
カエルの石仏
カエルの石仏

 なぜかカエルの石仏。つぶらな瞳がとっても可愛い・・・
 なぜカエルの石仏なのか良くわかりませんが。カエルの種類も、残念ながら良くわかりませんでした。せめて作られた時代くらいは知りたかったなー。
 カエルの種類については、両生類の図鑑を見てください。
身近な生き物図鑑:身近な両生類図鑑

写真撮影:2008年04月02日

円照寺

バス停走水神社下車 徒歩3分
円照寺
円照寺

 日蓮宗のお寺には、ほとんど必ず銅像が建っていますね。日蓮の銅像です。顔が同じなのは、JIS規格で定められているのかな?日蓮は鎌倉時代の人なので、銅像の姿と実際の日蓮の姿は、かなり違うのではないでしょうか。

写真撮影:2008年04月02日

銅鐘

バス停走水神社下車 徒歩3分
銅鐘
銅鐘

 この銅鐘は、海中から出現した鐘と伝えられています。1822年(文政5年)2月、走水村で漁師をしている利兵衛が走水村の沖で網にかけ、円照寺に納められたものです。
 総高は48.2cm、口径は29.0cmで、全面緑青に被われ、側面には大きな穴があき、腐蝕がかなり進んでいます。鐘には「竜神」、「元□□年八月」、「檀那沙耶□性」などの文字が確認されていますが、判読は困難な状態です。
 引き上げられたとき鐘内は檜の木蓋で封じられ、斧で破ってみると、経文2巻が封入されたいました。法華経全文を2巻に写書したものです。こちらも痛みが激しいですが、「元徳弐年八月七日彼岸中日供養□□龍宮城□願主沙弥了性・・・」と書かれてあります。1330年8月7日ですね。竜神に奉じたものです。紙は深緑色になっていますが、数百年間も海水に浸かったものとは思えないほど痛みは少ないものでした。
 銅鐘と経文2巻は、寺宝として現在も保存されています。

写真撮影:----年--月--日

経文

バス停走水神社下車 徒歩3分
経文
経文

 銅鐘の中に入っていた経文。1330年(元徳2年)に海中に沈められ、1822年(文政5年)に地元漁師によって引き上げられるまで、約500年間もの間、海中にあったとは思えないほど保存状態の良い物です。
 経文や鐘を海中に沈めた例は日本各地にありますが、円照寺の鐘は鎌倉時代の古い鐘で、内部に経文を封じ込めて海中に沈めた実例として、きわめて貴重なものです。沈鐘信仰を裏付ける、日本唯一の例で、横須賀市の重要文化財に指定されています。『吾妻鏡』では、源実朝がみずから書き写した円覚経を三浦義村に命じて三浦の海に沈めたと記されているように、鎌倉時代には経文を海中に沈める習慣があったようです。
 走水の海は海神の怒りを鎮めるため、弟橘媛命が身を投じた場所としても有名です。
三浦半島観光地図:横須賀市走水・走水神社
 法華経の巻末には「龍宮城」と奥書があることから、この銅鐘と経文は海神の怒りを鎮めるために海中に投じられたと考えられます。古代〜中世、走水は海の交通の要路であり、潮の速い海を無事に渡ることができるように、鎌倉時代の人々も神に願ったものと思われます。

写真撮影:----年--月--日
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