清水九兵衛(きよみずきゅうべえ)による作品、FIGURE F(フィギュアF)です。1989年(平成元年)の作品で、アルミニウム製で高さ2.5m、幅3mの巨大な作品です。入り口に設置されているんですが、みんな作品だと気付かずに素通りしてしまうんだよね。
手前に大きく突き出た「C」のような形が特徴です。この部分は分厚いアルミニウム製で、後ろの壁のような部分は木のパネルをジグザグに繋ぎ合わせて作られています。鮮やかな赤色が目立つ、大型の彫刻作品です。
金属による幾何学的な、抽象彫刻で知られた作家です。板状の部材を組み合わせた、構成的な形態を得意としています。FIGURE
Fでは、アルミと木を使い、木製パネルの大きさを巧みに生かしたスケール感あふれる空間を作り出しています。印象深い朱色は、清水が野外彫刻の中でしばしば効果的に使っていますが、室内展示として製作されながらも、朱色の塗装が施されている点が目を惹きます。FIGUREシリーズは1985年〜1989年まで製作され、「F」と付いたこの作品が最後になっています。
陶芸家としては、七代清水六兵衛(ななだいきよみずろくべえ)という別の顔を持ちます。彫刻に興味を持ち、彫刻作品を発表する時は清水九兵衛の名を名乗りました。
1922年、愛知県に生まれました。名は廣ですが、後に洋士、洋、裕詞などと名乗っています。自分の名前が、あまり好きではなかったのかもしれないですね。
1942年、名古屋高等工業学校建築科を繰り上げ卒業し、兵役に就きます。
1951年、六代清水六兵衛の養嗣子となります。この時、東京藝術大学工芸科鍛金部に在学しています。
1966年、五東衛(ごとうまもる)の名で、初めて彫刻作品を発表します。
1968年、清水九兵衛の名で、彫刻の初個展を開きます。以後、1987年まで陶作品の発表を中止します。
1974年、神戸須磨離宮公園第4回現代彫刻展で、神戸市教育委員会賞を受賞します。
1980年、六代六兵衛の死去に伴い、七代清水六兵衛を襲名します。襲名披露は1987年に行われました。
2000年、六兵衛の名を長男の柾博に譲り、再び九兵衛の名で彫刻に専念します。
2006年、京都府で亡くなりました。 |