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堀ノ内駅


京急堀ノ内駅

京急堀ノ内駅下車 徒歩0分
地図
京急堀ノ内駅
京急堀ノ内駅

 京浜急行本線「泉岳寺〜浦賀」と、久里浜線「堀ノ内〜三崎口」の分岐点に当たる堀ノ内駅です。非常に狭い駅前バスターミナルに、強引に路線バスが入って来たり、タクシーが道路に並んでいたりと、駅前はとても雑然としています。
 駅周辺は住宅街で、駅前商店街はほとんどありません。住宅街の中に位置するため駅前のバスターミナルは非常に狭く、路線バスが強引に入ってくる上、タクシー乗り場も設置されており、慣れないうちは危険がいっぱいです。北側にある国道16号沿いに、商店街や大型店が並んでいます。バスの本数も国道16号沿いの方が多いです。
 2008年(平成20年)、1日平均乗降人員は約13249人です。
三浦半島観光地図:横須賀市大津町・新大津駅
三浦半島観光地図:横須賀市大津町・京急大津駅
三浦半島観光地図:横須賀市安浦町・県立大学駅
 Tourist Information & Historic Spot. Horinouchi-station, Miharucho, Yokosuka City, Kanagawa, Japan.

写真撮影:2006年12月02日

京急堀ノ内駅ホーム

京急堀ノ内駅下車 徒歩0分
京急堀ノ内駅ホーム
京急堀ノ内駅ホーム

 高台に位置しているため、電車が停車していないと、非常に静かな駅です。冬は風通しが良く、寒さが身に染みます。
 島式ホーム2面4線の地上駅です。傾斜地に立地し、改札口はホームの下になります。
 開業当初は相対式ホーム2面2線(現在の2番線・3番線)構造でした。1942(昭和17)年12月1日の久里浜線開業により、上りホームに副本線(現在の4番線)を増設し、折返し運転を行っていました。1954(昭和29)年6月15日、当時の湘南井田駅(現在の北久里浜駅)間が複線化されたことにより、直通運転を開始し、現在の2番線からも乗り入れを可能とになりました。同時に下りホームに副本線(現在の1番線)が増設されました。
 度重なるホームの拡張工事により線路が複雑になり、浦賀側で本線と久里浜線が平面交差で分岐しています。本線に停車中の列車と、久里浜線に停車する列車がほぼ同時に発車するため、心の中で『負けるなー』と自分の乗っている列車を応援してしまいますが、ほとんどの場合、本線列車の方が加速が速いです。車両数が少ないから軽量で加速がいいのか、線路の分岐の影響で久里浜線は速度制限があるのかもしれません。

写真撮影:2006年12月02日

京急堀ノ内駅ホーム

京急堀ノ内駅下車 徒歩0分
京急堀ノ内駅ホーム
京急堀ノ内駅ホーム

 京急堀ノ内駅の下りホームから、ホーム全体の写真を撮影してみました。
 ホームの上り方面側には、なぜか大きな屋根が作られました。そのため、昼間でも屋根の下になるとちょっと薄暗い。堀ノ内駅ホームの中でも、乗り降り客の一番少ない場所に、なぜか一番大きな屋根が作られています。
 1番線は本線下り列車、2番線は久里浜線下り列車、3番線は本線上り列車、4番線は久里浜線上り列車が使用します。久里浜線開業当初、現在の4番線から折り返し運転を行っていたため、現在でも4番線から久里浜線下り方面へ向かう線路が残っていますが、利用はされていません。
 快特や特急のほとんどは久里浜線方面へ運行されていて、普通のほとんどは浦賀方面へ運行されている。そのため本線は浦賀方面ですが、実質的には久里浜線が本線となっています。
 列車接近メロディーは『レントラー舞曲』が使用されていましたが、2008年11月21日から公募によって選出されたシンガーソングライター渡辺真知子の楽曲『かもめが翔んだ日』に変更されました。渡辺真知子が横須賀市出身で、横須賀市の鳥がカモメのため。ちなみに上りホームではサビ部分、下りホームではイントロ部分が使用されています。

写真撮影:2006年12月02日

京急県立大学駅方面

京急堀ノ内駅下車 徒歩0分
京急県立大学駅方面
京急県立大学駅方面

 堀ノ内駅の下りホームから、県立大学方面の写真を撮影。駅と駅の間隔が狭いので県立大学駅ホームが見えるんじゃないかなって期待したんですが、残念ながら見えませんでした。
 4本の線路がとても複雑に絡み合っています。
 1931年(昭和6年)4月1日、現在の駅から約180mほど横須賀中央駅寄りに「横須賀堀内仮駅」として開業しました。
 1936年(昭和11年)6月、駅に昇格しました。
 1941年(昭和16年)11月1日、湘南電気鉄道と京浜電気鉄道が合併し、京浜電気鉄道の駅となります。
 1942年(昭和17年)5月1日、京浜電気鉄道が東京横浜電鉄へ合併し、東京急行電鉄(大東急)の駅となります。
 1942年(昭和17年)12月、久里浜線が久里浜駅まで開通し、現在の場所に移転しました。
 1948年(昭和23年)6月1日、京浜急行電鉄が発足し、京浜急行電鉄の駅となります。
 1961年(昭和36年)9月1日、「堀ノ内駅」に改称されます。
 1999年(平成11年)7月31日、ダイヤ改正にともない特急停車駅から快特停車駅へ昇格。
 2008年(平成20年)11月21日、列車接近メロディを『かもめが翔んだ日』に変更。

写真撮影:2008年04月02日

工事中

京急堀ノ内駅下車 徒歩0分
工事中
工事中

 下りホーム側で、何かの工事をやっていました。何の工事だろう?
 工事が終わった後、2階建ての灰色をした倉庫のような建物が完成しましたが、何だろう?

写真撮影:2008年04月02日

新1000形

京急堀ノ内駅下車 徒歩0分
新1000形
新1000形

 N1000形とも呼ばれています。
 2002年(平成14年)4月15日に営業運転を開始しました。老朽化した旧1000形と、今はなき4ドアの700形の取替えを目的に製造されました。
 コンセプトは「人に優しい新1000形」らしいです。
 塗装は2100形、3代目600形に酷似していてわかりづらい。
 2006年(平成18年)まで、アルミ合金製でしたが、2006年末の車両から京急初のステンレス製となりました。ステンレス製車両の車体はは無塗装で赤地に白い細帯をベースとしたラッピングが施されています。窓周りはラッピングされていないので、他の車両とはまったく違ったデザインになっています。
 最高速度は時速130kmで、営業運転は時速120kmです。やっぱり速い。

写真撮影:2006年12月02日

新1000形

京急堀ノ内駅下車 徒歩0分
新1000形
新1000形

 すっかり京急の定番となった車両、新1000形です。2012年現在では、京急で一番多い車両になります。今後数年間は、京急で一番多い車両になり続けると思います。
 2002年(平成14年)から登場しています。1000形の後継車として都営浅草線、京成線、北総線への乗り入れが可能な車両です。
 2100形をベースに片側を3扉、車内は扉間が脚台のないバケットタイプのロングシート、車端部が補助イス付のクロスシートで、ロングシートの中央には定員着席を促す仕切り立っている人用の手すりが配置されています。
 2100形と同様に海外製品を採用し、車両性能と居住性の向上を図りつつ、コスト削減も実現しています。
 全出入口扉にドア開閉チャイムを設置し、冷房装置にオゾン層破壊係数ゼロの新代替冷媒を採用するなど、バリアフリー化と環境対策にも貢献しています。8両編成、6両編成、4両編成があり、普通から快特まで幅広く活躍しています。

写真撮影:2008年07月27日

新1000形

京急堀ノ内駅下車 徒歩0分
新1000形
新1000形

 車掌が楽しんごだぁー!!楽しんごがいる、楽しんごがいるぅー!!
 この車掌、なんでこんなにクネクネしてるのー?京急の車掌って、一癖も二癖もあるような変わってる人が多いよね(^^;)
 車内放送を聞いてみたところ、「ドドスコスコスコ、ドドスコスコスコ、ドドスコスコスコ、次は県立大学、県立大学。ラブ注入までしばらくお待ちください」って言ってました。
 って、この記事はすべて冗談でできています(^^ゞ

写真撮影:2008年07月27日

新1000形

京急堀ノ内駅下車 徒歩0分
新1000形
新1000形

 京急新1000形電車の車両の写真です。
 堀ノ内駅は浦賀線と久里浜線との分岐があるため、車両の待ち合わせなどがあり、写真を撮りやすい駅です。撮り鉄というわけではありませんが、良く写真を撮っています。
 4両編成の車両で、2006年11月に完成しました。新しい車両なので、傷や汚れもなく、ピカピカとしています。ステンレス車両ではなく、アルミ車両の新1000形です。先頭車両に「1000」って書かれていないと、2100形や600形と見分けるのが難しいです。
 快特から普通車まで、都営浅草線、京成電鉄、北総線、成田スカイアクセスなどにも乗り入れる万能タイプの車両です。

写真撮影:2008年12月06日

新1000形

京急堀ノ内駅下車 徒歩0分
新1000形
新1000形

 京急新1000形電車の運転台の写真です。
 車掌がいなかったので、こっそりと撮影させてもらいました。とってもシンプルな運転台です。自動車の方が複雑なんじゃないかなって思うほど、シンプルです。子供の頃に見ていた電車の運転台は、計器がいっぱいあって複雑だったんだけどなー。
 T字形ワンハンドル式を採用しています。アルファベットでB、N、Pって書いてあって、その横に数字が書いてあります。運転手を見ると、喋りながら動かしているので、T字ハンドルを前後に動かすだけで電車を動かせるんだと思います。
 ハンドルの右側には、「緊急スイッチ」っていう赤いボタンが設置されています。緊急時に押すんだと思うけど、急ブレーキがかかるのかな?走行中に押してみたいなー。

写真撮影:2008年12月06日

1500形

京急堀ノ内駅下車 徒歩0分
1500形
1500形

 写真の車両は羽田空港行き普通列車で、デハ1532です。
 1985年(昭和60年)3月に営業運転を開始した、通勤形電車です。旧1000形の老朽化を受けて、取り替えを目的に、第2世代の東京都交通局(都営地下鉄)浅草線、京成電鉄、北総開発鉄道への乗り入れ車両として製造が開始されました。
 初期の20両を除いて、車体をアルミ合金製として軽量化を図りました。この車両から外気温・車内温度・車内湿度・乗車率を考慮したオールシーズン対応空調制御システムを導入しています。
 1990年(平成2年)8月には、京急初のVVVFインバータ制御車両の1700番台も登場しました。
 平成13年には車体・車内の傷みが激しくなってきたため更新工事が始まり、車内設備を一新しています。
 最高速度は界磁チョッパ車は時速120km、VVVFインバータ車は時速130kmです。営業最高速度は時速120kmです。見た目とは裏腹に、意外と速い。

写真撮影:2006年12月02日

京急2000形電車

京急堀ノ内駅下車 徒歩0分
京急2000形電車
京急2000形電車

 普通「羽田空港」行きです。1986年(昭和61年)、川崎重工製で製造された車両で車両番号は2441〜2444の4両編成となっています。
 1982年(昭和57年)12月27日に営業運転を開始した京浜急行電鉄の通勤形電車で、元優等列車用車両です。600形の代替時期に合わせて、おもに快速特急用として、長距離旅客のサービス向上を狙って製造されました。1983年(昭和58年)、鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞した人気車両です。
 前照灯が中央上部に1灯、客用扉は片引き戸方式が従来の伝統的京急デザインでしたが、前面窓下に2灯を装備した前照灯、京急初の両開き式の客用扉など画期的なデザインを採用しました。車両前面は非貫通式で左右非対称の大型の窓ガラスを採用、『く』の字型のスピード感ある先頭部デザインで、京急のフラッグシップトレインとされました。この先頭部デザインは、800形開発時にデザイン案が出されましたが採用されなかったものをリファインしたものです。内装はオールクロスシートを採用し、補助椅子付き。客室窓は横引きカーテンを設置した固定窓です。
  1998年(平成10年)〜2000年(平成12年)、快速特急を中心とした運用を後継のクロスシート車2100形に譲り、3扉ロングシートにして格下げ改造が行われました。8両編成はラッシュ時の優等列車として、4両編成は普通列車と優等列車の増結車として運用されています。
 改造時に取り外されたクロスシートは、京急車両工業の工場一般公開時に販売されたほか、アメリカ海軍横須賀基地の送迎用バス、鉄道総合技術研究所(JR総研)が所有するフリーゲージトレインに流用されたものがあります。
 最高速度は時速130kmです。営業最高速度は時速120kmです。

写真撮影:2008年02月09日

京急800形電車

京急堀ノ内駅下車 徒歩0分
京急800形電車
京急800形電車

 1978年(昭和53年)に営業運転を開始した通勤形電車です。ニックネームは「ダルマ」です。
 普通列車を高加速・高減速・多扉の車両に置き換えてスピードアップし停車時間を短縮することで、ラッシュ時間帯の優等列車の速度向上を実現するために設計・製造されました。起動加速度は3.5km/h/s、営業最高速度は100km/hです。
 1000形が必要両数に達したこと、省エネルギー機運など社会情勢や技術の進展を踏まえ、界磁チョッパ制御、電力回生ブレーキを採用し、京急では11年ぶりの新型車となりました。
 1948年(昭和23年)の東京急行電鉄からの独立以降、京急の伝統に則り、前照灯一灯式、片開き扉車となりました。車体は普通鋼製で、400形・500形を置換え、普通と京急川崎駅以南の急行での運用を想定して設計されたため、地下鉄乗り入れを考慮せず、片開き4扉、前面非常用貫通扉非設置となりました。
 1978年(昭和53年)〜1981年(昭和56年)に3両編成25本が製造されました。1982年(昭和57年)〜1986年(昭和61年)に15編成を中間車3両を新造して6両編成化し、1986年製の6両編成2本を加えた合計132両が製造されました。1994年(平成6年)〜2001年(平成13年)、更新工事が行われました。
 1978年(昭和53年)12月〜1979年(昭和54年)1月に製造された800形は、「試作車」と呼ばれることがあり、これ以降の車両とは細部が異なります。1978年(昭和53年)12月に営業運転が開始されましたが、年明けからしばらくは乗務員訓練に使用され、本格的に営業運転に投入されたのは3月からです。

写真撮影:2006年12月02日

京急800形電車

京急堀ノ内駅下車 徒歩0分
京急800形電車
京急800形電車

 3番線に停車中の800形電車、普通品川行きです。車両番号は先頭車両が815-6になっています。
 東急車輛製造のデザインによって、非貫通の運転台窓周囲に段差を付けてその部分を白くし、各幕窓、ヘッドライト周囲を黒く塗装した先頭車の前面形状がそれまでの京急車両と大きくイメージが変わりました。
 京急で初めて窓桟のない一枚窓が採用され、窓間の柱を100mmと細くしたことから当時の車両の中では非常に洗練された印象でした。車内の窓枠は日本の鉄道車両では初となるFRP製で、2000形や1500形に引き継がれました。新幹線200系など他の鉄道事業者の車両にも採用されています。801編成は熱線吸収ガラスを試用しているため窓がミラー状に反射します。
 塗装は従来の窓下の白帯の塗り分けから、側面の窓周りを広幅に白く塗る塗り分けに変更されましたが、2000形の登場以後、窓周り白塗装は「優等列車塗装」とされ、800形は1982年(昭和57年)から一般の白帯塗装へ変更されました。その後、2000形も3ドア化に伴い窓下白帯塗装に変更され、800形登場時の塗り分けは600形、2100形、新1000形に受け継がれるようになりました。
 座席はロングシートで、1人当たりの幅が30mm広げられ430mmとなり、700形と比べて座面が低く奥行きが深くなりました。座席の端部には京急で初めて板状の袖仕切とスタンションポールが設置されました。

写真撮影:2008年04月02日

京急800形電車

京急堀ノ内駅下車 徒歩0分
京急800形電車
京急800形電車

 1番線に停車中の800形電車、普通浦賀行きです。車両番号は先頭車両が814-6になっています。
 3両単位で編成を組むよう設計され、1982年(昭和57年)4月1日のダイヤ改正からラッシュ時の6両編成普通列車の品川乗り入れが行われました。しかし、日中の普通列車が4両編成主体だった1980年代に6両固定編成化が行われたため、朝ラッシュ時は設計構想どおり普通列車で運用されましたが、6両編成では梅屋敷駅で踏切を塞いでしまうことから、ラッシュ時以外は京急川崎駅以北に6両編成の普通列車は設定されませんでした。全時間帯に渡って6両編成普通列車が拡大されるのは、1999年7月31日のダイヤ改正以降となります。
 当初存在した3両編成は、1985年(昭和60年)頃まで運用されることがありました。、1990年代後半の一時期、普通列車が三崎口に乗り入れており、久里浜線でも運用されていました。
 普通列車用の性能のため、おもに初代1000形や1500形の6両編成とともに本線系統で普通列車を中心に運用されています。

写真撮影:2008年04月02日
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