この辺りを井尻といい、旧道の川間橋近くの十字路に、荒井観音堂へ行く道標が立っています。
正面に「南無大悲観音菩薩・左、長井村江道・右、あらい勧んをんみち」とあります。1711年(正徳元年)7月に建てられた古い道標です。
井尻の地名は、1841年(天保12年)の『新編相模国風土記稿』に載っていない地名で、そのあとに正式に名付けられたのかもしれません。荒崎城のあった方を頭とすると、このヘンが長井の尻にあたるので、『井尻』といわれるようになったそうです。
井尻の川間には、江戸相撲錦島部屋の親方をした錦島三太夫の出た安西家がありました。この人は、現役の頃『走船猪牙右衛門』といい、1845年(弘化2年)、師の跡を継ぎ、錦島親方になった人で、嘉永・安政の頃(1845年〜1859年)、盛んであった三浦相撲の隆盛に尽くした人であったといわれています。
長坂の祖母神社下、1868年(明治元年)に弟子たちが建てた三太夫の供養塔があり、台石に27名の弟子の名が刻まれています。 |