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浦賀奉行所跡の写真


浦賀奉行所跡

バス停浦賀病院前下車 徒歩3分
地図
浦賀奉行所跡
浦賀奉行所跡

 浦賀奉行所の跡地です。
 横須賀市内に奉行所があったことを知らない人がほとんどですが、実は奉行所がありました。
 奉行所と言えばどんな感じのものだったのかと言うと、「遠山の金さん」とか、「大岡越前」あたりを見ればわかるんじゃないかなーと思います。
 時代劇の主役になりそうな奉行所があったということを、覚えていただきたいです!
 横須賀風物百選にも選ばれていたんですねー、知らんかった。ほかの99ヶ所はどこになるんだろう。まだ、半分も回れてないかもしれない。
 浦賀奉行所の詳しいことは、こちらのページを参考にしてください。
三浦半島観光地図:横須賀市西浦賀・浦賀奉行所

写真撮影:2009年04月13日

案内板

バス停浦賀病院前下車 徒歩3分
地図
案内板
案内板

 「浦賀探訪くらぶ」によって、案内看板が立てられています。浦賀地区の市民活動は、史跡の保存や観光に熱心だなって感じます。
 奉行所は1720年(享保5年)に伊豆下田から浦賀へ移されました。業務は「船改め」をはじめ、地方役所、警察、裁判所、海難救助など広範囲にわたります。
 異国船が姿を見せるようになると、江戸を防備するため、海防の最前線として、さらに重要な役割を果たすようになり、その格は長崎奉行所に次ぐものとなりました。
 敷地は東西86m、南北75mの広さです。現在は堀割りの石垣と正門付近の石橋の一部を残すのみとなりました。

写真撮影:2009年04月13日

案内板

バス停浦賀病院前下車 徒歩3分
地図
案内板
案内板

 もうひとつ、浦賀奉行所の案内板が立っています。心なしかボロボロなところが、古い町並みが残る浦賀っぽくていいなーなんて思います。
 こちらの案内看板は、浦賀観光協会で立てられたものです。
 1720年(享保5年)に奉行所が下田から浦賀に移されました。その業務は、船改めをはじめとして、海難救助や地方役所としての仕事を行いました。
 また、文化・文政(1804年〜1830年)のころから、たびたび日本基金会に出没するようになった異国船から江戸を防備するため、海防の最前線として、さらに重要な役割を果たすようになりました。
 1720年(享保5年)から江戸幕府が終わる1868年(慶応4年)までの約150年間に、奉行は2人制の時期もありましたが、初代の堀隠岐守から最後の土方出雲守まで53人が勤めました。また奉行所には、与力10騎同心50人の役人たちも務めていました。
 現在では、奉行所を取り囲む堀の石垣と、表門の前にかかっていた石橋の伊豆石が4枚〜5枚あるだけで、当時の様子をしのぶことは難しくなっています。

写真撮影:2009年04月13日

石橋

バス停浦賀病院前下車 徒歩3分
地図
石橋
石橋

 これが、石橋ですよ。
 浦賀奉行所が使われていた当時のままの石橋です。石橋と言っても、石を乗せただけの簡素な橋です。
 この石橋の上を、当時の奉行や同心たちが通っていたわけですね。足跡をしのぶってことになるのでしょうか。
 この橋を渡るとき、どんな気持ちだったのかな。
 奉行所内に入るときは気が重くて、外に出るときはウキウキして足取り軽く帰宅していたかもしれないです。
 奉行所の仕事、とくに奉行の仕事って、ものすごくハードだったんですよー。ラクな仕事ではなかったようです。

写真撮影:2009年04月13日

堀割り

バス停浦賀病院前下車 徒歩3分
地図
堀割り
堀割り

 浦賀奉行所の堀割りです。堀割りは当時のまま残っています。ただし、内側だけ。
 市道のはずなので、外側は横須賀市の土地になるわけですが、外側はコンクリート壁になっています。
 内側は住友重機械工業の土地になるはずなんですが、内側の堀割りの石垣は残っています。
 どうして横須賀市は浦賀奉行所の石垣を壊しちゃったんだろう。

写真撮影:2009年04月13日

堀割り

バス停浦賀病院前下車 徒歩3分
地図
堀割り
堀割り

 浦賀奉行所の堀割りです。右側が浦賀奉行所になります。このあたりは、保存状態が良さそうです。
 浦賀奉行所の方が、やや土地が高いので、盛り土をしているようです。城郭を築くときは堀を掘った土で盛り土を行うことが多いですが、浦賀奉行所の土はどこから持ってきたんだろう。
 浦賀奉行所の堀割りは規模が小さいので、盛り土に使えるほどの土は出てこなかったと思います。

写真撮影:2009年04月13日

堀割り

バス停浦賀病院前下車 徒歩3分
地図
堀割り
堀割り

 城郭のように、外敵から防備のための堀割りではないですよね。だって、飛び越えられるくらいの幅しかないから。
 敷地の境界をはっきりとさせるためかな。
 浦賀奉行所側は盛り土をしているのがわかります。

写真撮影:2009年04月13日

堀割り

バス停浦賀病院前下車 徒歩3分
地図
堀割り
堀割り

 浦賀奉行をの四方を囲んでいる堀割りです。
 この堀を生かして、浦賀奉行所を再建しようっていう話も上がってきています。個人的には実現できたらいいなーって思います。
 浦賀の観光資源として、とても良いのではないかなと思います。できれば、浦賀ドックと合わせて観光資源にしたいですね。
 浦賀には古い町並みが残っているし、渡船なんかもあって。横須賀市にとっては初めての江戸時代の観光名所が誕生するかも!?
 問題は交通の便の悪さかな・・・(^^;)
 渡船を浦賀駅前からよこすか浦賀病院までの航路を結べないのかな。通院にも便利になるし、観光にも便利になるし。

写真撮影:2009年04月13日

社宅

バス停浦賀病院前下車 徒歩3分
地図
社宅
社宅

 住友重機械工業川間社宅1号棟です。
 浦賀奉行所跡地には、役宅ではなく社宅が建っています。
 住友重機械工業の社宅なので、ここから浦賀ドックに通勤していたのでしょう。
 社宅に住んでいる人は、奉行所跡から外に出るときは仕事のことを考えて足取りが重くなり。奉行所に勤めている人は、奉行所に入るときに足取りが重くなるんじゃないかな。

写真撮影:2009年04月13日

社宅

バス停浦賀病院前下車 徒歩3分
地図
社宅
社宅

 住友重機械工業川間社宅1号棟です。
 社宅を取り壊して浦賀奉行所を再建するのもいいかもしれません。
 だけど、社宅をそのまま残して、廃墟として観光名所にするのもいいと思います。
 どちらが人気が出るかと言えば、それは間違いなく廃墟の方でしょう!!
 だけど、浦賀ドックは次々と建物やクレーンなどを壊していってしまったので、社宅も壊されちゃう運命にあるんだろうなー。なんだか寂しいです。

写真撮影:2009年04月13日

社宅

バス停浦賀病院前下車 徒歩3分
地図
社宅
社宅

 住友重機械工業川間社宅1号棟です。
 人が住んでいると写真が撮りづらいので、だれも住んでない建物の写真を中心に撮影しました。
 気が小さいから、好き放題に写真を撮るっていうことができなくて。本当は記録として撮影しておいた方がいいと思うんだけど。

写真撮影:2009年04月13日

社宅

バス停浦賀病院前下車 徒歩3分
地図
社宅
社宅

 住友重機械工業川間社宅2号棟です。
 私が訪れたときは、住友重機械工業川間社宅1号棟は、すでに木の板が打ち付けられており使用されていませんでした。
 住友重機械工業川間社宅2号棟は、数部屋だけしか利用されていなかったみたいです。ほとんど空き家状態でした。
 住友重機械工業川間社宅3号棟には、洗濯物が干されていたり、衛星放送のパラボラアンテナが設置されていたので、普通に利用されていたみたいです。でも、半分くらいは空室の感じがしました。

写真撮影:2009年04月13日

社宅

バス停浦賀病院前下車 徒歩3分
地図
社宅
社宅

 住友重機械工業川間社宅3号棟です。
 私が訪れたときには、住んでいる人がいました。
 2016年現在では、だれも住んでいないようです。住友重機械工業の浦賀ドックも使われていないので、従業員も転勤しちゃったのかな。
 私は近いうちに貧困で家を失ってしまう可能性があるので、できるならここに住まわせてもらいたいです。

写真撮影:2009年04月13日
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