もうひとつ、浦賀奉行所の案内板が立っています。心なしかボロボロなところが、古い町並みが残る浦賀っぽくていいなーなんて思います。
こちらの案内看板は、浦賀観光協会で立てられたものです。
1720年(享保5年)に奉行所が下田から浦賀に移されました。その業務は、船改めをはじめとして、海難救助や地方役所としての仕事を行いました。
また、文化・文政(1804年〜1830年)のころから、たびたび日本基金会に出没するようになった異国船から江戸を防備するため、海防の最前線として、さらに重要な役割を果たすようになりました。
1720年(享保5年)から江戸幕府が終わる1868年(慶応4年)までの約150年間に、奉行は2人制の時期もありましたが、初代の堀隠岐守から最後の土方出雲守まで53人が勤めました。また奉行所には、与力10騎同心50人の役人たちも務めていました。
現在では、奉行所を取り囲む堀の石垣と、表門の前にかかっていた石橋の伊豆石が4枚〜5枚あるだけで、当時の様子をしのぶことは難しくなっています。 |