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浄土真宗のお寺で峰谷山信誠寺と書いて、「しんじょうじ」と読みます。本願寺派の末寺で、本尊は阿弥陀如来です。
寺伝によれば、開山は了海上人と伝えられています。古くは真言宗でしたが、1197年(建久8年)、江戸麻布の善福寺了海上人が親鸞上人の関東布教の折に浄土真宗に帰依し、このお寺に来て改宗しました。
境内には「逆さ銀杏」の木と、連如上人の碑があります。1450年(宝徳2年)、蓮如上人が手にしていたイチョウの木の杖を逆さまに刺したところ、枝葉が繁茂したといわれています。祈願をすると乳の出が良くなると伝えられています。碑は1785年(天明元年)の年号が刻まれています。
幕末期には寺小屋が設けられ、1877年(明治10年)に大津小学校ができるまで、寺の庫裏には小学校の前進となった郷学校が置かれていました。現在は、信誠寺には「ぎんなん幼稚園」が併設されています。
本堂は昭和30年に火災によって消失し、昭和38年に再建しました。現在の本堂は平成12年に建てられました。
身近な植物図鑑:イチョウの果実
身近な植物図鑑:イチョウの乳 |
写真撮影:2006年12月02日 |
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石段上の門は、小さいけれどいちよ山門です。
大津陣屋から移築したものと伝えられ、くぐり戸がついています。
大津陣屋は、1841年(天保14年)に、大津運動公園・大津高校・中学校・コーポ湘南大津一帯に建てられました。約2万坪だそうで、大家屋、役場、長屋、馬場などが作られ、川越藩、熊本藩、佐倉藩が主となりました。多いときでは1500人がこの陣屋に詰めていました。
明治元年にはすべての建物が取り壊され、大津運動公園・大津高校・中学校は海軍錬兵場となり、コーポ湘南大津は海軍刑務所となりました。 |
写真撮影:2006年12月02日 |
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竜灯木古跡です。
海中から火の玉が飛んできて、木の梢で燃え続けたのを人々は「竜灯」と呼び、大津の港の目印になったという伝説があります。
龍灯の伝説は日本各地にあります。海上から高さ約3mほどの空中に漂う火の玉のことです。日暮れの頃に現れ、これが現れる海には龍神が住んでいると言われ神聖視されていました。
ある意味、龍灯は妖怪のような存在でもあります。 |
写真撮影:2006年12月02日 |
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江戸湾(現在の東京湾)沿岸を防備した、川越藩士のお墓です。たぶん・・・
大石仙助さんのお墓のようです。年代を見ると天保年間と書かれていたので、間違っていないとは思いますが・・・
お墓のような、そうじゃないような、僕の知識では判断できない石塔がお寺の前に数基並んでいます。 |
写真撮影:2006年12月02日 |
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お墓のようですが、誰のお墓なのかはわかりません。最初見たときは、庚申塔のたぐいかと思いましたが、刻まれた文字を良く見てみると、○○墓と書かれた墓石や、戒名らしきものが刻まれた墓石がありました。
そうかと思えば、庚申塔のような石塔もあるようです。
もしかしたら、大津陣屋には川越藩、熊本藩、佐倉藩の藩士が勤めていたことから、その時の藩士のお墓かもしれません。女性か子供なのかなってお墓なのかなって石塔もありましたが・・・ |
写真撮影:2006年12月02日 |
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