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            | 日蓮宗のお寺には、ほとんど必ず立っている石碑ですね。自分では読めませんが、お題目の「南無妙法蓮華経」と書かれているはずです。この石碑が建ってると、「このお寺さんは日蓮宗なんだな〜」っていうのがわかります。 金谷大明寺末寺になります。開山は1497年(文明11年)4月8日、開基は田中伊豆守成隆です。
 ちなみに、このお寺の裏側に続く台地は、追浜駅の裏側の高台へと繋がっていた一連の山でした。昔はここを、武蔵の国と、相模の国との国境線としていました。現在では、横須賀市と横浜市との市境とほぼ一致します。
 
 
  三浦半島の歴史:横須賀市追浜町:京急追浜駅  |  
 
          
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            | 法福寺の入り口です。道の奥にお寺がありますが、道の入り口に石碑が建っているので、すぐにわかると思います。 蒲谷山法福寺といいます。
 元々、山門のあった場所は、寺に入る道の曲がり角あたりと伝えられています。普通は宝塔は山門の前にありますが、現在の宝塔の位置は何らかの理由で現在の場所に移されたものと考えられます。
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            | 本堂は意外にも簡素な造りでした。屋根は少しモダンな感じになっています。コンクリート製の本堂にしては、やや小さめですね。 明治13年12月22日、本浦村は全村のほとんどが焼失するという大火に見舞われ、寺も炎上し、寺宝一ニ点を除くすべてが焼失してしまいました。焼失以前は、山門、鐘楼、番神堂を備える大規模なお寺だったと伝えられています。
 その後、昭和30年にも火災によって本堂が焼失しました。現在の本堂は檀家などの協力によって、昭和42年に完成しました。
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            | たまたま本堂の扉が開いていたので、手を合わせてもらって、写真を撮っちゃいました〜。基本的に建物は撮影しても、建物の内側は撮影しないんですけどねー、綺麗だったのでつい(^^ゞ 僕にとっては史跡であったり、芸術品であったりしますが、基本的には信仰の対象となっているものなので、写真を撮るというのは失礼にあたるのではないかなーというのが僕の考えでして・・・
 本尊は日蓮上人大曼荼羅です。
 祖師像と、焼失を免れた鬼子母神、十羅刹女などが安置され、安産、子育ての守護神として古くから信仰されています。また、住職が厚く信仰している毘沙門天像も本堂に祀られています。
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            | やぐらでしょうか、横穴遺跡でしょうか、どちらに当たるのかは良くわかりません。 境内には、五輪塔、宝篋印塔が散在します。周辺にはやぐら群があるため、創建はもっと古いのではとも考えられます。廃寺の寺を日蓮宗に改めて再興したものと推定できます。
 未確認ですが、法福寺境内の東南隅の小高いところに平田家のお墓があります。そこにはやぐらがあり、宝篋印塔を中心として、数多くの墓が無造作に並んでいます。
 そのそばにやぐらがあり、中心には直径80cmほどの穴があいて地下に降りられるようになっています。地下は深さ約3mで、四畳半〜六畳くらいの部屋になっています。やぐらではこのような形式のものは存在しませんが、古墳、砦や山城の集合墳墓では人骨などは見つかっておりません。
 その謎のやぐらが、この写真の謎の横穴なのかどうかは、よくわかりません。
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