どう見ても畑なんですが、看板が立てられていたので、貝塚なんだと思います(^^ゞ。実際には、貝は見付かりませんでした。
今から6500年前頃は、現在の平地は海で、この場所が海に突き出た低い丘になっていて、ここで生活をしていたようです。
貝塚にはマガキが多く、東西20m、南北10m前後に広がり、貝の堆積は4mにもなっていました。
ここからは土器も発見され、食物繊維を多量に含み、きめの粗い粗雑な作りの深鉢形の者が多く、土器の表面をアカガイなどの貝の背で仕上げていて、貝のすじ跡がたくさん付いているのが特徴です。茅山式土器となづけられました。
明治時代には、この貝塚の貝を、石灰製造の原料にされてしまい、半分ほどがなくなってしまいました。
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