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立派な屋根の作りが、とても存在感があり印象的です。
浄土宗のお寺で、久郷山田津院聖徳寺といいます。
1353年(文和2年)、田戸庄の長嶋家を継いだ楠木正徳の創建と伝えられています。
新田義貞の鎌倉攻めを助けた三浦氏の一族、大田和兵六左衛門義勝は、その後に数々の理由により足利尊氏に攻め滅ぼされ殺されそうになったとき、楠木正成に助けられます。大田和義勝の子、鶴吉丸は名を永嶋と改め、田戸に住みました。これが安浦町の赤門がある永嶋家の先祖と伝えられています。
三浦半島の歴史:人物事典・楠木正徳
三浦半島の歴史:人物事典・新田義貞
三浦半島の歴史:人物事典・大田和義勝
三浦半島の歴史:人物事典・足利尊氏
三浦半島観光地図:東京都千代田区皇居外苑・楠木正成像
三浦半島観光地図:横須賀市安浦町・赤門 |
写真撮影:2006年12月13日 |
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銀杏の紅葉がとても綺麗なお寺でした。
時代は足利氏の世となり、南朝方の楠木一族には利があらず、楠木正行の弟、楠木四郎正徳は、田戸の永嶋義政を頼り逃げてきました。大田和義政は、恩義のある楠木一族に対して楠ヶ浦に館を造り住まわせました。これが、楠ヶ浦の地名の由来となりました。
その後、大田和義政の妹、八重姫が楠木正徳と夫婦となり、大田和義政には子がなかったため、楠木正徳が永嶋家を継ぐことになりました。
そのため、永嶋家の血筋は、三浦一族でもあり、楠木一族でもあります。
聖徳寺は、永嶋家の菩提寺ともなっています。 三浦半島の歴史:人物事典・永嶋義政
三浦半島の歴史:横須賀市楠ヶ浦の史跡巡り・観光名所案内 |
写真撮影:2006年12月13日 |
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何の石碑なのか、良くわかりません(^^ゞ、何か彫られてあるんですが、字が上手すぎて僕には読めませんでした。MSPゴシック体とかで書いてくれなくちゃなぁー。
聖徳寺は、京都の知恩院の末寺になります。本尊は阿弥陀如来です。
1353年(文和2年)に、曹源寺の中に造られました。その後、1769年(明和6年)、現在の場所に本堂が建てられました。
三浦半島の歴史:横須賀市公郷町・曹源寺 |
写真撮影:2006年12月13日 |
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やっぱり、何が書いてあるかわからない石碑。というよりも、最初から読む気がないと言うべきか(^^ゞ
浄土宗は法然上人(源空・1133年〜1212年)によって、1175年(承安5年)に開かれました。
ご本尊の阿弥陀仏(無量寿仏)を深く信じて、ひたすら南無阿弥陀仏と唱えるだけで、どんなに罪深い人でも必ず救われて、明るい毎日を送り、浄土で生まれ変わることができるとの教えです。
お釈迦様が説かれた、無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の3部経を拠り所としています。 |
写真撮影:2006年12月13日 |
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