横須賀市民でも、多くの人が名前も場所も知らない泊町。泊町のすべてが、在日アメリカ海軍横須賀基地になっているため、入ることができない地区です。
基地用地で一般の民家はありません。横須賀製鉄所建設以後、山は切り崩され、海は埋め立てられました。さらに、アメリカ海軍関係者の家族住宅としても山を崩し入り江が埋め立てられたため、かつての地形・景観は完全に失われてしまいました。
かもめ島洞窟遺跡があります。
南北朝時代、臨済宗の高僧・夢窓国師(夢窓疎石)が土佐国吸江庵から横須賀に泊船庵に移住し、約5年間滞在しました。夢窓国師は鎌倉瑞泉寺の開山でもあり、後醍醐天皇や足利尊氏らの帰依を受け、七代の天皇から国師号を贈られました。門下は夢窓派と呼び、五山文学の中心的存在でした。その場所については諸説ありますが、入り江に面していて、後背山頂から富士山が見える地形のため、泊町の谷戸奥の山腹あたりだと考えられています。
江戸時代、浦賀港で荷揚げを避け、ここに船泊りをして荷揚げした
とも言われている場所です。
江戸時代、横須賀村の小名です。
明治9年、横須賀町の横須賀泊町となりました。横須賀町成立時に、泊町内に設立されました。
明治初期まで民家、八幡神社、曹渓寺などがありましたが、明治20年頃の海軍用地拡張のため、取り払われて移転させられるなどし、寺は廃寺となりました。
明治22年、横須賀町の大字となりました。
明治40年、横須賀市の大字となりました。
昭和20年まで横須賀軍港用地でしたが、太平洋戦争敗戦後はアメリカ海軍(第7艦隊)基地用地となっています。
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