三浦半島身近な図鑑 > こころコミュニティー > 誕生日・誕生花・誕生石占い > 12月9日生まれ
独創的なひらめきに優れた、開拓者です。 豊かな想像力と、抜群の行動力で、現状を切り開いていく冒険者です。 家族や恋人に対しては、勇敢で頼りになる保護者となります。責任感や愛情が強いため、怒りが爆発すると脅威の存在となってしまいます。 激しい感情を抑えて、自分を客観的に見つめることで、周囲から必要とされる人になります。 心の未熟さから、目を背けないようにしてください。 内気な殻を破れない、妄想世界のドン・キホーテです。 殻を破れないまま大人になっているので、理想と現実の折り合いをつけられず、現実逃避してしまいます。 冷静さや堅実さとはほど遠く、感情的になるばかりです。気が付いた時には、取り返しのつかないことになってしまっています。
包容力があるため、結婚後は円満な家庭を築くことができます。 やや干渉しすぎで、束縛しすぎのところがあるので、つねに相手が何を求めているのかを考えていれば、良好な関係を維持することができます。 感情よりも理性で行動するように心掛けてください。
妥協せずに、独創的なアイデアを世に出し続けることで、成功を手にすることができます。
攻撃的な性格が表面化すると、ストレスも増加してしまいます。 適度な運動で、発散してください。
ツワブキ(Leopard plant)。 身近な植物図鑑:ツワブキ
愛よ、よみがえれ。
キク科の多年草です。 ツワブキの名前の由来は、ツヤ葉ブキから。 みごとな光沢のある葉ですが、それ以上に見事なのは花です。キク科に属する植物のため、花の形はまさに黄色のキクです。 晩秋の海岸地方などに、明るい色彩を楽しませてくれます。
天性の霊感を発揮して、人を驚かせます。 修行次第で、霊能者として生きることもあるかもしれません。 恋愛のチャンスは次々と訪れますが、長続きしないようです。
スモーキー・クォーツ(Smoky quartz)。
責任感、不屈の精神。
初氷の便りが届く季節になりました。熱いコーヒーの色、ほのかな香り、立ち上る湯気。お香を焚けば、揺らぐ煙にホッとする安心感が得られます。 コーヒーの色をして、煙を閉じ込めて結晶化したような宝石が煙水晶・茶水晶と呼ばれるスモーキー・クォーツです。茶色は土の色、不屈の頼もしさ、自然界を表します。クリスタル・クォーツと呼ばれる透明水晶は、クリスタル(結晶)を意味し、古代の人が氷が固まってできたものだと考えていました。 自然界のエネルギーを含み、力強さ、粘り強さを与えてくれる宝石が、スモーキー・クォーツです。これから迎える新しい年を確実なものにしてくれる、そんな願いが込められている宝石です。
まるで煙が閉じ込められたかのように見えるのが、スモーキー・クォーツです。 褐色〜濃茶色の色調は、熱処理、放射線処理によって、グレードアップされたものもあります。 ケアは他のクォーツ(水晶)と同じなので、気を遣うことなく身に付けて楽しむことができます。
おおらかで、くったくのない生活を楽しんでいるように見られてしまいます。 毎日を忙しく生活している人にとっては、憧れの存在となります。 茶色は不屈の頼もしさを与えてくれる自然の色です。人を力付けるとともに、危険を知らせてくれるパワーを持った色です。 その茶色の色調をしたスモーキー・クォーツは、ボーっとしてしまうこともある自分のお守り石となってくれます。
1889年、井上成美(海軍大将) 1916年、カーク・ダグラス(俳優) 1926年、佐田啓二(俳優) 1933年、ペギー葉山(歌手) 1939年、市川猿翁(歌舞伎役者) 1941年、白石加代子(女優) 1943年、山内賢(俳優) 1947年、安彦良和(漫画家) 1950年、綾小路きみまろ(漫談家) 1953年、落合博満(プロ野球選手) 1955年、朝潮太郎、高砂親方(大相撲力士) 1955年、升毅(俳優) 1955年、渡辺裕之(俳優) 1963年、雅子(皇太子妃) 1978年、DA PUMPのISSA、辺土名一茶(歌手) 1979年、上村愛子(モーグル選手)
●王政復古の大号令 1867年(慶応3年)。討幕派が公武合体派を抑え込み、王政復古に成功しました。 ●初のグライダー飛行 1909年(明治42年)。陸軍砲兵大尉の相原四郎が、東京上野の不忍池の池端でグライダーに試乗しました。竹骨複葉式のグライダーを車に引かせて、見物人たちの見守る前で宙に浮きました。40mほど飛行し、池に落ちてしまいました。 ●初のレコード吹き込み 1911年(明治44年)。浪花節の桃中軒雲右衛門(とうちゅうけんくもえもん)らが、レコードの吹き込みを行いました。 ●農地改革司令 1945年(昭和20年)。GHQが農地改革を指示しました。 ●障害者の日 1975年(昭和50年)。国連総会で障害者の権利宣言が採択されたのが、1975年(昭和50年)の今日のコト。総理府(現在の内閣府)がこの日を障碍者の日と制定しました。国民が障害者への理解と認識を深め、福祉の増進を図るのが目的です。日本は欧米謝意に比べると、障害者雇用が立ち遅れていると言われています。1991年(平成3年)、労働省が強い行政指導に乗り出した結果、大企業を中心に障害者の募集は増加しましたが、障害が軽く設備の改善をしなくても働ける人が中心で、雇用率の改善はあまり進んでいません。障害者が社会へ参加できるように、一人一人が関心を持ちたいです。