慶応3年(1867年)、王政復古の大号令が発表された年に生まれました。当時の伊予温泉郡、現在の松山市新玉町に生まれ、本名は正岡常規(まさおかつねのり)といいます。
松山中学校に通い、「余の目的は何なりしかといへば、政治家とならんとの目的なり」という言葉通り、政治家になることを夢見ていました。
しかし、その夢は断たれ、一転して哲学を志すようになります。政治という現実的なものに代わり、哲学があらゆるものの上位に位置すると考えていたようです。
ふたたびその夢は破れ、文学を本格的に志すようになりました。そのきっかけに哲学を学んでいたことがあったようです。文学に最高の価値を見出すようになりました。
「神聖なり、絶対なり、高尚なり、超絶なり」(文学漫言に記載されています。キテレツ大百科ではありません)
ちょっと誇大妄想っぽい気もしますね(^^ゞ |