京浜急行フリークには懐かしい気分にさせてくれる青砥藤綱の石碑。特急青砥行き!!青砥ってどこだろうってずっと思ってたけど、まだ行ったことがありません(^^ゞ
青砥藤綱は、北条時頼から北条時宗にいたるまでの約40年間、裁判官のような役目をする引付衆(ひきつけしゅう)を務めていた人物です。
ある秋の夕刻、青砥藤綱は滑川の橋の上で、銭13文を川の中に落としてしまいました。13文とはいえ、天下の財宝を失うのは残念だと、人夫数人を雇い、50文の松明を買って銭を拾わせました。雇われた人夫は悪知恵を働かせ、自分の腹掛から1文ずつ取り出して、川底から拾ったようにみせかけ、多額の謝礼と酒代をもらいました。
帰宅した青砥藤綱は、家人にこのことを語ったところ、落としたのは11文で13文ではないことを知りました。だまされたと気付いた青砥藤綱は、人夫を訪問し、罰として11文が出てくるまで、裸で滑川の川底を探させたといいます。
11文すべてが出てきた頃には、春になっていたとのこと。人夫が冬の間、裸で川をさらっていたことから、人々は滑川のことを、裸川と呼びました。
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