それほど大きなお寺ではありませんが、拝観料として大人100円、小学生50円、カツアゲされます。白い萩の花が有名なので、ぜひ9月頃に訪れてください。
1333年(元弘3年)、新田義貞の鎌倉攻めにより北条氏は滅亡します。その後、1335年(建武2年)、北条高時の霊をなぐさめるために、後醍醐天皇が足利尊氏に命じて葛西ヶ谷の東勝寺をここに移し、寺名を宝戒寺としました。天台宗のお寺で、山号を金竜山といいます。
境内には、聖徳太子像をまつる太子堂、鎌倉地蔵尊二十四所札所霊場の石碑があります。
本堂には、国の重要文化財に指定されている地蔵菩薩像は、子育経読地蔵(こそだてきょうよみじぞう)という名で呼ばれています。関東大震災の時に像の中から出てきた記録により、1365年(貞治4年)、京都の三条法印憲円(さんじょうほういんけんえん)という仏師が造ったものだとわかりました。
帝釈天像、梵天像も、同じ頃に造られたものだと思われます。十王像、閻魔大王像、北条高時像、不動明王像、准胝観音像なども安置されています。秘仏として公開されていない勧喜天立像(かんぎてんりつぞう・国重文)、惟賢和尚像(ゆいけんおしょうぞう・国重文)、仏涅槃図(ぶつねはんず・県重文)などもあります。
江戸時代には、天海僧正が関東における天台宗の本寺として、寺の維持相続を徳川家康に懇願しています。
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