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 安養院

安養院本堂 JR鎌倉駅下車 徒歩7分
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安養院本堂
安養院本堂
 浄土宗のお寺で、山号を祇園山といいます。
 もともとここには尊観上人(そんかんしょうにん)が開いた浄土宗の善導寺(ぜんどうじ)というお寺がありました。
 北条政子は亡くなった夫である源頼朝の冥福を祈って、長谷の笹目に願行上人(がんぎょうしょうにん)を開山として長楽寺を建てました。しかし、北条政子の亡き後、兵火に焼かれてしまったため、鎌倉時代末期にここの善導寺に長楽寺を移し、北条政子の法号である安養院を院号にして、それがお寺の名前となりました。
 本堂には正面に本尊の阿弥陀如来像が祀られています。その後ろに高さ1.85mの千手観音があります。この千手観音は比企ヶ谷にあった田代寺が火事で焼失したため、こちらに移されたものです。
 他にも、毘沙門天、北条政子像、法然上人像、善導大師像、願行上人像、尊観上人像、釈迦如来の誕生像、釈迦如来の涅槃図、「安養院如実妙観大禅定尼」と書かれた北条政子の位牌があります。
写真撮影:2007年02月28日

安養院石塔 JR鎌倉駅下車 徒歩7分
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安養院石塔
安養院地石塔
 鎌倉最古の宝篋印塔、北条政子の供養塔と並んで建っている石塔です。
 「安養院住心蓮社等誉上人空阿?」って書かれてあるような気がする・・・。意味は良くわかりません。
 本堂に祀られている千手観音像は、昇龍観音、良縁観音、田代観音などと呼ばれています。出世や良縁を求める人々から厚く信仰されています。
 千手観音は10世紀末、チョウ然という僧侶が宋から持ち帰り、天皇や宮中の人々から厚く信仰されていました。その後、三条天皇の子孫の田代冠者信綱(たしろのかじゃのぶつな)の手に渡りました。
 源頼朝が伊豆で挙兵し石橋山の合戦で敗れた時、源頼朝に味方をしていた田代冠者信綱は頼朝と共に岩屋の中に隠れて難を逃れました。一の谷の合戦では、源義経に従い7000騎を率いて攻め込み手柄を立てました。難を逃れ、手柄を立てられたのは日頃から信仰していた千手観音のおかげと考え、合戦におもむく際はつねに千手観音を身につけていたといいます。千手観音の高さ1.85m、身に付けたら自分よりも大きな観音様を背負って戦場で戦うのかな?
 北条政子もこの千手観音を信仰し、この観音に祈ったおかげで頼朝と結ばれたり、頼朝が天下を取ることができました。その後、良縁観音、昇龍観音と呼ばれるようんありました。
 源頼朝亡き後、田代冠者信綱は北条政子に相談し、鎌倉に田代寺を建てて観音堂に千手観音を安置することにしたそうです。
写真撮影:2007年02月28日

安養院宝篋印塔 JR鎌倉駅下車 徒歩7分
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安養院宝篋印塔
安養院宝篋印塔
 本堂の裏手にある石塔の中で、ひときわ大きな宝篋印塔です。興味のない人にとってはただの石塔にしか見えないと思いますが、国指定の重要文化財です。ドッシリとした作りが印象的な宝篋印塔です。
 徳治三年(1308年)の銘が刻まれており、名越の善導寺を開山した尊観上人のお墓だと伝えられています。鎌倉時代の作品として、国の重要文化財に指定されています。
 現在、鎌倉に存在する宝篋印塔の中で、年号が推定できる最古のものです。
写真撮影:2007年02月28日

北条政子の供養塔 JR鎌倉駅下車 徒歩7分
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北条政子の供養塔
北条政子の供養塔
 大きな宝篋印塔の隣に、少し小さな宝篋印塔が建っています。
 これは北条政子のお墓だと伝えられている宝篋印塔です。「安養院殿如実妙観大禅定尼、嘉禄元年七月十三日」と刻まれています。嘉禄元年は1225年にあたります。
 ですが実際には、宝篋印塔は室町時代のもので、文字はあとから彫られたものだと考えられています。
 北条政子のゆかりの寺だというのがわかりますね。安養院は、ツツジが綺麗なお寺でもあります。
写真撮影:2007年02月28日

安養院石造物たち JR鎌倉駅下車 徒歩7分
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安養院石造物たち
安養院石造物たち
 多種多様な石造物たちが建ち並んでいました。
 手前にあるのは庚申塔ですね。三猿と青面金剛が彫られているのでわかりやすいです。
 その他にもたくさんの石塔があり、背後にも石塔がならんでいます。
 一番奥に並んでいるのは六地蔵だろうと思ったんですが、ちょっと人数が多いような気がする・・・。数えてみると8人いるので、八地蔵でしょうか?僕はまぼろしを見ているのかもしれない。
写真撮影:2007年02月28日

安養院地蔵尊 JR鎌倉駅下車 徒歩7分
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安養院地蔵尊
安養院地蔵尊
 一番右は夫婦地蔵です。
 中央は御助地蔵です。いけませんなー、御助地蔵を見て最初に思い浮かべたのは、タツノコプロのタイムボカンシリーズ、「タイムパトロール隊オタスケマン」でした。
 左側が親子地蔵です。
写真撮影:2007年02月28日

安養院日限地蔵 JR鎌倉駅下車 徒歩7分
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安養院日限地蔵
安養院日限地蔵
 どうやら新築し直したようです。真新しい地蔵堂です。鎌倉のお寺には千社札をたくさん貼られてしまったお寺が多いので、新しくした地蔵堂には千社札が貼られないといいですね。
 お寺さん側も美観を損ねてしまうと気にしているようで、千社札お断りと書かれてありました。
 こちらのお地蔵さまは、日限地蔵(ひぎりじぞう)と呼ばれています。また、子安地蔵とも呼ばれています。
 決めた日数のうちにお参りをすれば、願い事を叶えてくれるといわれています。この地蔵菩薩像は14世紀の南北朝時代の作と伝えられています。
写真撮影:2007年02月28日

お釈迦様の足跡 JR鎌倉駅下車 徒歩7分
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お釈迦様の足跡
お釈迦様の足跡
 とっても大きな足跡です。説明版などはありませんが、お釈迦様の足跡です。仏足石などと呼ばれます。
 とても大きな足で、ジャイアント馬場や、和田アキ子さんよりも大きいと思います。そして何よりの特徴が、偏平足。土踏まずがありません。お釈迦様の足は偏平足だったので、足跡がはっきりと残されたと言い伝えられています。

家庭の医学:偏平足とは?
写真撮影:2007年02月28日

槇の巨木 JR鎌倉駅下車 徒歩7分
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槇の巨木
槇の巨木
 大迫力の巨木。天然記念物に指定されている槇の巨木です。おそらくは、コウヤマキのことだと思います。
 樹齢は約700年。善導寺の開山の尊観上人がお手植えの槇と伝えられています。元々ここにあったお寺を開いた人ですね。
 また、コウヤマキは2006年9月12日、命名の儀で秋篠宮悠仁親王のお印とされた植物です。

身近な植物図鑑:コウヤマキ
写真撮影:2007年02月28日
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