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 白山神社

白山神社 バス停白山神社下車 徒歩5分
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白山神社
白山神社
 菊名の権現様です。
 細長く参道の続く白山神社です。このあたりには子供たちが遊べる公園がないみたいですねー。この神社でも、子供たちの遊んでいる姿が目に付きました。
 参道に立つ鳥居は、1820年(文政3年)に建立された石の鳥居です。
 一般的に白山神社の主祭神は菊理媛神(きくりひめのかみ)ですが、こちらの白山神社は伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)になります。
写真撮影:2007年08月23日

白山神社 バス停白山神社下車 徒歩5分
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白山神社
白山神社
 子供たちの遊び声を聞きながら参道を進んでいくと、白山神社の拝殿が見えました。とてもこじんまりとしています。
 残念ながら、この神社にも説明看板などは立てられていませんでした。
  江戸時代前期の1684年(貞亨元年)の勧請です。かつては白山宮といい、三浦一族の家臣である菊名左衛門重氏の守護神と言われていました。場所も、南寄りの仲里の山林あたり、菊名左衛門重氏の別荘の地にありました。
 江戸時代になって、地元住民によりこの地に移され、社頭を整えました。
写真撮影:2007年08月23日

白山神社 バス停白山神社下車 徒歩5分
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白山神社
白山神社
 鉄筋コンクリート造りの神社でした。ちょっと残念(TωT)
 でも、綺麗にされているみたいですね。ちゃんと拝殿の入り口は開けられているし、お賽銭箱も置いてありました。もちろん、お参りをしましたが、どんなお願いをしたのかは、秘密でーす。
 以前に火災に遭い、現在の社殿はコンクリートに銅葺き屋根です。
 11月2日の例祭日には、飴屋踊りの奉納があります。江戸時代中期、飴売りが人寄せのために演じ、土地の青年たちに伝えたものといわれていますが、発祥の地や創始者はわかっていません。
 化粧をした若い男衆によって演じられる素朴な豊作祈願の踊りです。以前は約20種類の演目がありましたが、現在では7種のみが伝え残されています。横須賀市長井の熊野神社にも飴屋踊りが伝えられています。
 ただし現在は「菊名飴屋踊り保存会」の高齢化のため、飴屋踊りは行われなくなってしまいました。
写真撮影:2007年08月23日

狛犬 バス停白山神社下車 徒歩5分
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狛犬
狛犬
 なんとも痛々しい姿の狛犬さん。かなり古いものなのかな、痛みが激しいです。
 脚が片方しかないし、下顎もなくなっています。体全体にはコケがビッシリと生えています。石が柔らかかったのかなー。
写真撮影:2007年08月23日

狛犬 バス停白山神社下車 徒歩5分
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狛犬
狛犬
 これも狛犬なんですが・・・
 ここまでくると、痛みが激しいというよりも、原形をとどめていませんねー。もう完全になんだかわかりません(^^;)
 でもちゃんと使われているというところが、嬉しいですねー(^^)。捨てられて新しい物と交換されてしまうと、狛犬だけで神社の存在感が薄れてしまいます。
写真撮影:2007年08月23日

狛犬 バス停白山神社下車 徒歩5分
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狛犬
狛犬
 新しい狛犬。痛みが激しいので、新しい物も設置したのでしょう。
 でもなんだかちょっと、迫力に欠けますねー。なぜか困った顔をしているように見えます。彫り方もあまり丁寧でないというのかなぁー。
 痛みも激しく、大きさも小さいですが、古い狛犬の方が迫力や存在感がありますねー。
写真撮影:2007年08月23日

浅間神社 バス停白山神社下車 徒歩5分
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浅間神社
浅間神社
 石殿の浅間神社です。なぜ浅間神社があるのか、不思議です・・・
 普通なら、背後に大きな山があるんですが、ここの背後にあるのは、山というよりも丘なので・・・。
 なぜ白山神社に浅間神社が合祀されているのか不思議だったのですが。その理由がわかる日が来ちゃいましたー。昭和40年代、白山神社を建て直す際、工事を行った人が信仰していた浅間神社を勧請しました。
 貴重な情報、ありがとうございます。
 白山神社の裏山は、三浦義同が北条軍を防いだ城山跡になります。地元では、「じょんやま」と呼ばれています。
写真撮影:2007年08月23日

稲荷神社 バス停白山神社下車 徒歩5分
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稲荷神社
稲荷神社
 稲荷神社かなー?ちょっと自信がありません。
 普通なら小さな稲荷神社でも、お土産屋さんに売っているような、小さなキツネが置かれているんですが。ここにはキツネの気配がなかったし、鳥居の形式も稲荷神社とはちょっと違うようなので。
写真撮影:2007年08月23日

切妻造妻入形横穴古墳 バス停白山神社下車 徒歩5分
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切妻造妻入形横穴古墳
切妻造妻入形横穴古墳
 この神社の最大の見所は、やっぱりココ!!
 横穴古墳です。他の良く見られるような横穴古墳と違って、とても丁寧な造りです。しかも、倍以上の大きさがあります。近畿地方の大型の古墳と比べたら身も蓋もありませんが、この近辺での有力者の墳墓だと思われます。
 玄室は奥行き5.4m、幅2.7m、高さ1.7mあります。天井は切妻造風です。柱や棟などが浮き彫りにされ、壁には朱塗りを施した跡が発見されています。
写真撮影:2007年08月23日

切妻造妻入形横穴古墳 バス停白山神社下車 徒歩5分
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切妻造妻入形横穴古墳
切妻造妻入形横穴古墳
 近くから覗いてみるとこんな感じ。丁寧に掘られているのがわかります。
 勇気を出せば中に入ることもできたんですが、死者を葬るための場所なので、罰が当たるかなって思ってやめておきました。お墓の中に入るのは、まだ早すぎるかなーって気もするので(^^;)
 奈良時代〜平安時代、三浦半島は五郷に分けられたと考えられています。菊名は氷蛭郷と呼ばれ、金田、菊名、水戸、宮田、和田あたり一帯が含まれていると考えられています。
 この古墳は、当時のこの辺りの人々を統率した有力者の墳墓であると推定されています。
写真撮影:2007年08月23日
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