三戸公園と書かれた石柱。だがしかし、公園らしき場所は見付けることができず。公園って言うよりも、何もない・・・
公園って言ったら、ブランコがあったり、滑り台があったりするから、すぐにわかりそうなものなんだけど。周辺には、掲示板と、電柱と、カーブミラー。背後はブロックが積まれた崖地になってるし。
でも三戸公園て書いてある石柱には、「承久忠臣三戸友澄、主従墳墓招魂碑道」って書いてある。周辺を散策してみたけど、やっぱり公園は見付からないし、お墓らしきものも見付からな。
三戸友澄は、三浦一族の一人で、三浦義澄の子です。1221年(承久3年)、承久の乱で討ち死にしました。承久の乱では、後鳥羽上皇側に付いたため、忠臣として扱われているのだと思います。兄弟で後鳥羽上皇側についた人と、鎌倉幕府側についた人がいるため、幕府側についた三浦義村は、かなり悪者扱いされちゃっています。
明治時代に建てられた石柱だと思います。
標語の書かれた掲示板には、「あいさつは、心をいやす、宝物」と、「あいさつを、笑顔で交わして、地域の輪」って書いてある。異なる時期に設置された掲示板には、「地球はね、ゴミ箱じゃない、すてないで」と、「緑色、映えるきれいな、初声町」って書いてありました。
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