「高輪」の地名の由来は、戦国時代の軍記物語の中に「高縄原」として登場します。高縄とは「高縄手道」の略で、高台にあるまっすぐな道のこと。丘陵中心部を南北に走る二本榎通りが、高い場所に張った縄のようであるため伝えられています。また、『吾妻鏡』の中に登場する1189年(文治5年)の奥州合戦の際、鎌倉から御供した人物の一人として高鼻和太郎がおり、その名前にちなんで高輪の地名が付いたとする説もあります。
江戸時代は町外れで、高台には諸藩の下屋敷が多く置かれました。明治時代以降になると、皇族・高官・財界人の邸宅が建ち並びました。このため現在でも、緑豊かな閑静な住宅地は都心の高級住宅街のひとつとして知られています。泉岳寺をはじめとして、由緒ある寺社が数多く存在します。
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