宮崎町の歴史
伊勢山貝塚、伊勢山皇大神宮、萬徳寺、横浜市民ギャラリー、伊勢山ヒルズなどがあります。
もとは戸部の一部でした。
明治3年、横浜町の宮崎町でした。
明治7年、天皇皇后が灯台寮に行幸啓の際、伊勢山離宮(東京銀行社宅)に1泊しました。
明治11年、横浜区に所属します。
明治22年、横浜市の宮崎町になりました。延命院に真土村事件の河野与七の「春塘居士之碑」が建立されました。
大正元年、道路1766坪余、官有地3951坪余、民有地1万3276坪余、戸数398、人口1844。
大正9年、世帯数145、人口795。
昭和2年、横浜市中区の宮崎町となりました。
昭和10年、世帯数80、人口421。
昭和19年、横浜市西区の宮崎町となりました。
昭和22年、世帯数117、人口569。
昭和25年、野毛不動の縁日が復活しました。
昭和55年、世帯数174、人口526。
地名の由来
旧字名の宮ケ崎と、明治3年に皇大神宮が遷座したことから宮崎町となりました。
もとは戸部の一部でした。
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